京都 八月 とくれば...
当然、大文字ですよね。
他県の人は、大文字焼きとか五山の送り火とか言いますけど、地元民にとっては大文字は「大文字」なんです。
「もうじき大文字やなあ。お盆すぎたらちょっと涼しいなるかな。」
というふうに言ってます。
毎年のことなんで、あって当たり前、ああ今年もか、てなもんです。
毎年、ビルが増えているので、市内の中心部では大文字が見えないところがどんどん増えています。逆にビルの屋上の方が見えたりします。
風情がありません。
大文字てどんななってるんやろ
と思う人が多いでしょうけど、京都民は幼稚園、小学校時分に大文字に登るので、たいていみんな知ってます。(私らの世代はそうでした。最近の人はどうか知りません。)
せっかくですから行ってみましょう。
とは言ったものの、最高気温35度、ガンガンの炎天下。只今午後1時半。
でも、今日の午後は唯一の夏休み。お盆も通しで仕事ですし、もう足が向かっています。
すんませんけど、真似して登る人は自己責任でお願いします。
何かあっても、私では責任がとり切れませんので。
右大文字 如意ヶ岳
右大文字は如意ヶ岳という山の中腹にあります。
今出川通りの白川より少し西から撮った画像です。「大」の字の線が集まっている中心の金尾に広場のような場所があります。そこまで行きましょう。
白川通りから、哲学の道を東へ歩いて、銀閣寺橋まで来ました。哲学の道はここから右手、南の方へ続きます。前の銀閣寺橋を渡って銀閣寺の方に進みます。
にぎやかな、土産もん屋さんの参道をぬけて、銀閣寺の前に出ました。左に曲がって銀閣寺を迂回します。左のどん突きには「八神社」があるのですが、その手前を山の方に上がっていきます。
八神社の境内に消防車や消防署の車数台が止まってました。
大文字の前の消火訓練か何かかなと思ったんですけど、全然違いました。
どうも、登山者が熱中症で倒れたようで、写真中央に担架と「ポカリスエット」の金属製の大きなタンクを置いて、運ばれてくるのを待ってました。
明日は我が身かと一瞬思いましたが、体調は万全に整えていますし、リュックの中にはアクエリアスとももの天然水の二本が出番を待ってます。
でも、午前中は仕事だったので、オフィス帰りのような服装でリュックサックを背負っています。ほかの登山者のカラフルで、スポーティーな格好からすると、場違いはなはだしい容姿です。
一応、靴だけはトレイルランニングをはいてますのでそれなりですけど...
大文字参道は、行者の森と名付けられて整備されています。
お地蔵さんなどが並んでます。道中の安全、熱中症予防を祈願します。
最後の駐車場です。車は止められません。バイク、自転車までです。
もっかい言っときます。登る人は自己責任でお願いしますよ。
夏に限らず、何があっても私には責任が取れません。
右側にはきれいな清水が流れています。台風の時には濁流となって流木なんかが堆積するところです。
この先に救急車が止まって、下山を待ってました。
大文字に薪などを運ぶためのリフトがあります。車でここまで運んであとはリフトの助けで運び上げます。昔は人力で担ぎ上げていたので大変でした。
この右手に大文字山の入り口があります。
階段上の橋を渡って、登山道に入ります。
バイク、自転車止めがあります。心無い人たちがバイクや自転車で登ろうとしたので策を設けました。
ここは遊び場ではなく、神聖な祀りごとを行う場所です。
しばらくは、階段状の登山道が続きます。
この先少し行ったところで、救急隊の担架が下山してくるところと出会いました。十数人の隊員の方が一段となって担架を運んでおられましたよ。こんな山道まで大変ご苦労さんです。
途中なだらかになるところもあります。また、もう少し上ると京都市内が見えるところもあります。
千人塚までやってきました。太平洋戦争中に、壕を構築していたところ大きな壺に入った大量の遺骨が発見されたそうで、それを祀ったものです。
千人塚の碑が建てられています。
リフトが頭上を横切ります。
この階段が見えてくるともう少しです。階段には昭和4年と彫られています。
階段が滑らかになりました。木陰は涼しいです。
もう目の前です。階段の一番上の部分が「大」の横棒の左端に当たります。
上がりきったところに石碑がありました。
一挙に視界が開けます。
真ん中に見えている建物のところが「大」の文字の一番中心にあたる「金尾」と言われるところです。
京都市内一望。吉田山や御所が目の前に見えます。
哲学の道と鴨川沿いの緑が続いています。
誰が大文字を始めたの?
これには諸説があります。
・足利義政説。延徳元年(1489年)足利義政がその息子の足利義尚を病によって亡くした時に、相国寺の横川景三らによってなされたという説。
・空海(弘法大師)説。平安初期、弘仁年間に悪病が流行し、空海が山頂で護摩行法を行いました。これが大文字の始まりだという説。
・近衛信尹(このえ のぶただ)説。大文字のことが書かれているもっとも古い文献は、慶長8年(1603年)の「慶長日件録」で、7月16日に「山々灯を焼く」と記されているものです。中川喜雲の寛文2年(1662年)「案内者」によれば、「大文字は三藐院(近衛信尹)殿の筆画にてきり石をたてたりといふ。」という記述があります。このことから近衛信尹が大文字を始めたという説。
どうなんですかね。
「大」の字の一番上の方まで階段で上がります。
「火床」です。基本的にはこの形です。この上に薪をうず高く積み上げて、下に入れた藁に火をつけて点火します。
金尾の火床です。これは他と違って大きいです。
大の字に沿って階段があり、火床が並んでいます。
金尾には弘法大師(空海)が祀られています。
京都タワーが見えます。
大阪方面です。うっすらとビル群が見えます。
木陰でゴロンと横になって、上を見上げると雲が速いスピードで流れています。
木陰は涼しくて、下の町の喧騒を忘れさせてくれます。
午後だけですけど、私の夏休みです。
時々、涼しい秋の風が感じられ、セミよりもヒグラシの声が大きくなってきています。もうじき山には秋が来るんですね。
アクセス
- 京都市バス「銀閣寺前」下車、徒歩40分