剣豪 宮本武蔵
宮本武蔵は決闘に負けることなくその生涯を終わります。その生涯には謎が多く、諸説が入り乱れています。決闘でとくに有名なのが吉岡一門との決闘と巌流島の決闘です。
その吉岡一門との決闘が行われたのが、「一乗寺下り松」と言われていますが、「一条下り松」、「北野下り松」も決闘が行われたという候補です。
今回は、「北野下り松」を訪ねてみました。
北野かいわい
北野といえば北野天満宮が一番有名です。その天神さんの前の交差点から、中立売(なかだちゅうり)通りを南東へ向かうと、北野商店街になってます。中立売通りを歩いていると、七本松通りのところにロータリーがあります。そこに大きな木が一本。
その木の下をよく見てみると、「決闘ノ地」の看板があります。
看板があるので、一瞬この木が「下り松」かと頭をよぎりましたが、どう見ても松ではないですね。
以前ここを通った時にはこんな大きな木はなかったように思うのですが、もうだいぶん昔のことなので私の記憶違いかなぁ。
「北野下り松」が宮本武蔵と吉岡一門の決闘の地であったという説は、江戸時代中期の国学者・柏崎具元(かしわざき とももと:永以 えいい と号した)の「古老茶話(ころうさわ)」によります。古老茶話には、宮本武蔵は吉岡一門と北野七本松で決闘したとの記述があります。また、江戸時代初期の医者であり、歴史家である、黒川道祐(くろかわ どうゆう)によって書かれた地誌「雍州府志(ようしゅうふし)」に北野七本松は下り松と呼ぶという記述があります。
これらのことを総合して、北野七本松は一条下り松であり、宮本武蔵は北野下り松で吉岡一門と決闘したのが史実だという説に至ります。
北野商店街
「決闘ノ地」の看板の横に「北野とチンチン電車」というモニュメントがあります。北野商店街のある中立売通りは明治から昭和にかけて市電が走っていました。
まあ狭い通りなんですけど、よく市電が走っていたものです。Googleのストリートビューで見てもらってもわかるのですが、車が両方向で一車線ずつとアーケードのある歩道だけしか道幅がありません。当時は電車が交通の主役だったんですね。
武蔵が吉岡一門とどこで決闘したのか、決定的な証拠はどこにもありません。でも、跡地を訪ねて昔に思いをはせるのはとても楽しいものです。
アクセス
- 京都市バス「北野天満宮前」下車、徒歩5分
「決闘ノ地」の看板は北野商店街振興組合の前のロータリーにあります。