「鵺の鳴く夜は恐ろしい…」
私にとってはとっても懐かしいフレーズです。横溝正史の最後の長編小説となった「悪霊島」の映画のキャッチコピーです。平安時代に出没した鵺(ぬえ)もその恐ろしさから天皇を病にしてしまいます。
鵺とは、猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾は蛇という架空の生き物ですが、「平家物語」では弓の達人である源頼政(みなもとのよりまさ)が、家来の猪早太(いの はやた)とともに退治します。
「京都 鵺 大尾」(「木曽街道六十九次」の内、歌川国芳画、嘉永5年(1852年)10月)
平安時代末期、毎晩のように東三条の森より黒煙が湧き立ち、黒雲となって清涼殿(天皇の住む御所)の上空にたなびき、それと共に不気味な鳴き声が響き渡るという怪奇現象が起こりました。二条天皇(※)がこれに恐怖し、ついに天皇は病の身となってしまい、薬や祈祷をもってしても効果がありません。
※・・・近衛天皇、後白河天皇、鳥羽天皇と史料によって記述が異なります。
側近たちは困り果てて相談し、かつて源義家(みなもとのよしいえ)が弓を鳴らして怪事をやませたという前例にならって、弓の達人である源頼政に怪物退治を命じます。神明神社で鵺退治を祈願した頼政は、ある夜、家来の猪早太を連れ、先祖の源頼光(みなもとのよりみつ)より受け継いだ弓を手にして怪物退治に出向きました。
すると、丑の刻(午前2時)になり艮(うしとら)の方角(北東)よりもくもくと黒雲が湧き上がり清涼殿を覆い始めました。頼政は山鳥の尾で作った破魔の鏑矢を用意して潜む鵺を目がけ、「南無八幡大菩薩」と弓の神の名を唱えて射ます。悲鳴と共に鵺が二条城の北方あたりに落下しました。すかさず猪早太が取り押さえて刀でとどめを刺します。この鵺の落ちたのが鵺大明神のあたりで、血に濡れた鏃(やじり)を洗ったのが鵺池だそうです。
頼政は仕留めた鵺の遺骸をバラバラに切り刻み、空穂船に乗せて鴨川に流したといいます。これにより天皇の体調もたちまちに回復して、頼政は天皇から褒美に「獅子王(ししおう)」という太刀を下賜しました。師子王は東京国立博物館に保存されています。
新形三十六怪撰:猪早太と鵺 月岡芳年画
鵺が落ちた二条公園
二条城の北側にある児童公園です。若い世代の人は知らないでしょうけど、昔ここには公園に併設したプールがあったんですよ。
公園の北の端にある鵺大明神です。
後光がさしています。天皇は鵺によって病気になったといいますが、鵺は直接何かをしたわけでもないのに殺されてしまうとは少しかわいそうでもあります。
江戸時代に、このあたりに「鵺石」というのがあって、触ると祟りがあると恐れられていたそうですが、現在はありません。
玉姫大明神、朝日大明神がまつられています。
主一大明神ですが、調べてみても詳細はわかりませんでした。
「鵺池碑」と書かれた復元碑です。
鵺池
鵺大明神の隣には、平成17年(2005年)にきれいに整備された「鵺池」があります。
池には碑がありますが、もうほとんど読めなくなっています。
鵺池です。
きれいに整備されています。
実際には湧いている水ではありません。
なんか、ぶくぶくしているので気になって近寄りました。
あぶくが出ていて、手を浸けるととても冷たいです。
昔、岡崎に「鵺塚」があったのですが、現在はグランドになっています。塚は実際は古墳だったそうで、埋蔵物が「崇徳天皇皇后 聖子 月輪南陵」の横にある、「鵺塚陵墓参考地出土遺物埋納所」に祀られています。なぜ、古墳が「鵺塚」と呼ばれたのでしょうかね。
伝説と史実が入り混じったような話がいろいろあるのですが、これがまた京都の面白いところです。二条城の出入り口からは少し離れていますが、北の出口から出られた際にはちょっと寄ってみて、鵺の霊に手を合わせてはいかがでしょうか。
アクセス
- 京都市バス「丸太町智恵光院」下車、徒歩3分