膏薬の辻子 (こうやくのずし)
薬屋さんでもたくさんあったんかいな、と思わせる名前ですが、薬屋さんは全然ありません。
市聖(いちのひじり)とあがめられていた空也上人(くうやしょうにん)は、平将門(たいらのまさかど)の首が晒された地にお堂を建てて手厚く供養したといいます。そこが「空也供養の道場」と呼ばれるようになり、後にクウヤクヨウ…がなまってコウヤク(膏薬)、細い路地に位置することから「膏薬の辻子(こうやくのずし)」と呼ばれるようになったと伝わっています。明治2年に南北に分かれていた膏薬の辻子を合併し、新釜座町(しんかまんざちょう)という現在の町名に変わるまではこの名で呼ばれていました。
平将門は、東国での天慶の乱の後、天慶3年(940年)に藤原秀郷(田原藤太)と平貞盛に討たれました。その首級は、平安京まで送られ、都大路で獄門にかけられたといいますが、それがここ、神田明神のある場所です。
きれいに整備されてますが、さすがに細い辻子です。
市内でも古い家の多い地区ですが、最近はお店が増えています。
京都神田明神
膏薬の辻子の四条側から入るとすぐにあります。
以前は民家の壁に埋め込まれていたのですが、今は建物の中に入りきれいになってます。前にカエルの石像があります。将門の首は、ここから関東まで飛んで帰ったとの言い伝えから、カエル=帰る とかけています。
平成22年に改装されたのでとてもきれいです。平将門の首がさらされたなどという雰囲気は全然ありません。
「拾遺都名所図会」に「天慶3年に平将門の首を晒したところであり、それよりこの地に家を建てると祟りがある」「空也上人は将門の亡霊をここに供養し、石を建てて印とした」という内容が書かれています。この石がそうなんでしょうか。
京都の中心四条烏丸からすぐ近いので、一度寄られてみてはいかがでしょうか。膏薬の辻子もとても風情が感じられるところですよ。
アクセス
- 京都市バス「四条西洞院」下車、徒歩1分