右大臣 菅原道真公
右大臣まで上り詰めた菅公ですが、左大臣藤原時平の讒言(ざんげん)によって太宰権帥(だざいごんのそつ)に左遷され、大宰府で亡くなります。菅大臣神社はその名前の通り、菅原道真公をお祀りしている神社です。京都には菅公に関する神社、史跡がたくさん残ってます。それだけ、その祟りは強力なものであったのでしょう。
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菅公は最初雷神、祟りの神として人々から畏怖されますが、のちに天神、学問の神として崇敬されるようになります。
今回は菅大臣神社を訪問します。
菅原道真誕生の地
正式名称は「菅大臣社(かんだいじん の やしろ)」といいます。当時は仏光寺通りを中心に南北二町、東西一町の広大な敷地である菅家の邸宅跡であり、菅公の誕生の地と言われています。
南側の入り口に立つ鳥居です。
すぐに二の鳥居があります。
絵馬は紅梅・白梅です。
本殿前の鳥居です。左の木が飛梅です。
本殿です。本殿はもと下鴨神社の本殿を、明治2年(1869年)に移築したものです。
これが有名な飛梅です。菅公は特に桜、松、梅をめでていました。菅公が太宰府へ左遷されてすぐ、桜の木は主がいなくなったことを悲嘆し枯れてしまいます。
東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ
治承4年(1180年)頃の編纂と考えられる『宝物集』巻第二より
主を慕う梅は、見事一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったという伝説です。
梅と松が飛んだのですが、松は力尽きて摂津国八部郡板宿の近くの「飛松岡」と言われる丘に降りました。これは「飛松伝説」と言われています。松の巨木は大正年間の落雷が原因で枯死してしまいましたが、板宿八幡神社の境内に飛松社としてこの松の株が保存されているそうです。
実際のところは、菅公に仕えて大宰府にも同行した味酒保行(うまさけのやすゆき)が株分けの苗木を植えたとか、伊勢国度会郡の伊勢神宮神職、度会春彦(わたらい はるひこ:白太夫と呼ばれ、菅公の最期をみとったともいわれる)が旧邸から密かに持ち出した苗木を献じたものとかいわれています。
菅公は丑年なので、牛が神使です。
駒札です。
西の入り口にある鳥居です。
北側の入り口です。
菅家廊下
菅家の邸宅跡です。菅家廊下(かんけろうか)といわれた学問所の跡地で、 菅公の書斎がこのあたりにあったそうです。
石碑の下の方に小さく「紅梅殿」と書かれています。
菅大臣神社の方は「白梅殿」と呼ばれています。
紅梅殿
先ほどの石碑から少し北へ行くと、紅梅殿があります。
家と家に挟まれた小さな社です。
屋根瓦には、梅の紋所があります。北菅大臣神社と言われます。菅公の父・菅原是善(すがわらのこれよし)が祀られています。
菅公誕生の地を名乗る神社は他にもあるのですが、菅公がここで生活されていたことは間違いないようです。北野天満宮のように人がいっぱいということもないので、静かに落ち着いて参詣できます。
アクセス
- 京都市バス「四条西洞院」下車、徒歩7分
- 京都市バス「西洞院仏光寺」下車、徒歩2分