ほんとは…
「建勲神社」、京都民も「けんくんじんじゃ」と言いますし、市バスのアナウンスも「けんくんじんじゃまえ」ですけど、ほんとは…
「たけいさおじんじゃ」
が正式な名称だそうです。
北区の船岡山にあって、織田信長公をお祀りしています。
正式な参詣道は船岡山東通りから西に向かって行くのですが、北側からも南側からも参詣できます。
私は、船岡山の方から参詣しました。
船岡山
船岡山は平安京の四神の玄武に位置し、豊臣秀吉によって信長の廟所と定められた山です。境内には船岡山妙見社があります。妙見とは北を示すシンボル北極星であり玄武の象徴です。
秀吉は信長公の霊をなぐさめるために船岡山に寺を建立し、信長像を安置しようとして正親町天皇(おおぎまちてんのう)より天正寺の寺号を賜りました。しかし寺の竣工は中途に終わってしまいます。
北大路通りから参詣しました。
今宮神社と近いです。
暑い時期ですが、船岡山公園からは子供の声がしています。
参詣道の最後の方だけ階段になっています。
境内はもう少しです。
船岡山は少し小高い丘のような山で、京都市内、東山方面がよく見えます。
建勲神社 境内
手水舎です。
明治8年(1875年)に別格官幣社に列格しています。
本殿へ上がります。
拝殿です。
拝殿前に祓い串がありました。
左、右、左、と祓ってお詣りします。
本殿です。
明治2年(1869年)、「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」として、明治天皇により健織田社(たけしおりたのやしろ)の創建が決定されました。翌明治3年(1870年)、信長の子孫で天童藩知事・織田信敏の邸内(東京都)と織田家旧領地の山形県天童市に建勲社が造営されます。その後、船岡山に神社を移すことになり、明治13年(1880年)、社殿が竣工して東京より遷座しました。明治43年(1910年)には本殿以下諸舎を山麓から山上の現在の社地に移建しました。
境内からは東山方面、右大文字や比叡山がきれいに見えます。暑さも忘れる景色です。
桶狭間の合戦の出陣前に織田信長公が舞われた「敦盛」の有名な一節を刻んだ歌碑です。「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり ひとたび生を得て 滅せぬもののあるべきか 」
船岡山東通りに面した大鳥居です。木造の明神鳥居で、幅5.5m高さ7.2mあるそうです。平成20年(2008年)に国の登録有形文化財に指定されています。京都市内に現存する木製の鳥居では一番古いものではないでしょうか。とても立派で美しい形をしています。
建勲神社はご祭神・織田信長公の業績にちなみ、国家安泰・難局突破・大願成就・産業指導の神・災難除けの神社とされています。あまり混むこともなく景色もきれいなので一度ご参詣ください。
アクセス
- 京都市バス「建勲神社前」下車、徒歩3分
- 京都市バス「船岡山」下車、徒歩7分