玉の輿神社
ここはとても縁起がいい神社です。女性は参詣必須ですよ。
「玉の輿(たまのこし)神社」と言われる、良縁をとっても期待できる神社です。
「玉の輿」の由来となった神社で、「玉」は大徳寺付近で生まれた「お玉」さんを指します。彼女は徳川3代将軍家光の側室となって、5代将軍綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)として従一位となりました。このことが「玉の輿」ということわざの由来になっています。
お玉さんには、西陣織屋の娘、畳屋の娘、大根売りの妹と諸説があります。
まあしかし、とってもめでたい神社ですね。
参詣道
私は北大路通りの船岡山バス停から向かいました。北大路通りから、参詣道がつながっています。
すぐに大きな鳥居があります。
昔はとても広い境内だったんでしょうね。
お隣には大徳寺があります。こちらも境内はとても広いです。
ほどなく、正面つきました。きれいな朱塗りの楼門です。
楼門の前に駒札があるんですけど、ちょっと見えづらくなっています。
境内
楼門をくぐります。
楼門から見た境内です。とても静かで、人影もまばら。
楼門の横に手水舎があります。
「お玉の井」です。本殿が南向きで、手水舎も南向きなので、お清めの時にお尻を神様に向けるという罰当たりなことになってしまします。
拝殿です。
本殿はとても立派です。
「疫社」です。健康長寿、厄払いのご利益があります。
今宮神社は「けいおん」の絵馬が奉納されているので有名です。絵師さん用に無地の絵馬もあるそうです。
「やすらい祭」の絵馬。
かわいいですね。犬かな。
「織姫社」です。御祭神は栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)で、七夕伝説の織女に機織をお教えになられた織物の神様です。七夕伝説と言うと、遠距離恋愛の神様ですね。技芸上達のご利益があります。西陣織の神様でもあります。
「阿呆賢(あほかし)さん」とよみます。
「阿呆賢さん」は古くから「神占石(かみうちいし)」ともいわれ、病弱な人はこの石に心を込めて病気平癒を祈り、軽く手で撫で身体の悪きところを摩れば、健康の回復を早めるそうです。
また、「重軽石(おもかるいし)」ともいわれます。軽く手の平で三度石を打ち、持ち上げるます。重い石ですが、再度願い事を込めて三度手の平で撫でて持ち上げます。この時に、石が軽く感じれば、願い事が成就すると言い伝えられています。
「阿呆賢さん」に向かって「アホ!」というと阿呆賢さんは重くなり、「賢い!」というと軽くなったという話があるそうです。
せっかくですから、良縁祈願、恋愛成就を願ってみてください。
玉の輿、玉の輿…
末社が八社並んでいます。
「紫野大将軍社」です。平安京の四方に大将軍社を建立しましたが、大徳寺門前に祀られた社を境内に遷して祀っています。
「稲荷社」と「織田稲荷社」です。「織田稲荷社」は織田信長公を祀り、墓所阿弥陀寺の移転跡地、西陣元伊佐町にありましたが、これを昭和62年に境内に遷し祀っています。今宮神社からずっと南に歩いていくと、建勲神社に着きます。
https://www.kyoto-inf.com/guide-kyoto/2017/08/19/posted-kenkunjinja
境内の西より、少し小高いところに、「地主稲荷社」と「月読社」があります。
こちらは「地主稲荷社(じぬしいなりしゃ)」です。今宮の地を護っている神様です。
「月読社」です。境内で一番高いところにあります。暗闇に光を与える月読さんです。
落ち着いた境内で、とてもゆったりとできます。
入口の「楼門」を裏から見ています。
東門です。この外に「あぶり餅」で有名な、「一文字屋和輔(いちもんじやわすけ)」と「かざりや」の二つの店があります。一文字屋和輔は1000年前、かざりやは江戸時代初期の創業とと言われています。「あぶり餅」は病気・厄除けのご利益があります。
元禄時代の遺構「神橋」です。紅葉の時期はとても絵になりそうですね。
「神馬舎」と書かれていました。中に白馬がいます。
境内も静かで、京都らしさが感じられます。現在独身の方、玉の輿を狙って、ぜひご参詣ください。良縁開運、間違いなし。ご利益により、玉の輿に乗って人生順風満帆となるでしょう。
なにも、玉の輿は女性に限ったことではありません。男性であっても、玉の輿に乗れるなら乗った方が良いのではないでしょうか。どうぞお詣りください。
そして、「あぶり餅」をいただいて、病気・厄除けとしましょう。
アクセス
- 京都市バス「船岡山」下車、徒歩3分
- 京都市バス「今宮神社前」下車、すぐ