見晴らしの良い丘
昔から、船岡山は景勝の地でした。その美しさが尊ばれて、清少納言も「枕草子 231段」で「岡は船岡」と、丘の中では一番きれいだとして名前を挙げています。京都市内が一望できる絶景の地です。
一方では京都を代表する葬送の地でもあり、吉田兼好は「徒然草 137段」で「(都の死者を)鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」と書いています。船岡山の北西から紙屋川にかけての地区が蓮台野(れんだいの)と呼ばれ京都の三大風葬地の一つでした。
保元元年(1156年)の保元の乱以後、船岡山は処刑地とされ、敗北した源為義とその子供たちもここで処刑されています。
応仁の乱や永正の戦では合戦の場となりました。
近年では、派出所から呼び出された警官がナイフで刺されて拳銃を奪われ、その拳銃で射殺されるという事件が起こりました。
現在は公園で子供たちが遊ぶ平和な史跡になっています。
北側の入り口です。「船岡山」バス停からくるとここへ着きます。画像の右手が船岡山公園、左手が建勲神社です。
見取り図が掲げられています。船岡山公園と、建勲神社が多くを占めます。
公園から山頂までは、石段が整備されていますので、すぐに上がれます。
ラジオ塔です。ラジオの普及を目的として昭和5年(1930年)から公園などに設置されたラジオ受信機を収めた塔です。正式には、「公衆用聴取施設」というそうです。
頂上を目指します。
頂上付近にでました。左大文字が見えます。場所を少し移動すると、鳥居以外はすべて見えます。
標高は低いですが、京都市内はよく見えます。
ウォーキングの人が時々通りますが、人影はまばらです。
けっこうよく見えるでしょ。
京都タワーも、こんな感じで見えています。
頂上の三角点です。
史跡 船岡山
昔は「舟岡山」と書いたようですが、現在は「船岡山」です。住所の町名は「舟岡町」です。
上の画像でお分かりのように、京都市内がよく見えるので、戦の拠点となることが多くありました。
特に、応仁の乱では、応仁元年(1467年)西軍を率いる備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山に船岡山城を建てて立て籠もりました。これに対して、応仁2年(1468年)に東軍の細川勝元が能成寺口・安居院口・紫野の三方より攻め落とします。
また、永正の戦(船岡山合戦〈ふなおかやまがっせん〉)では、永正8年(1511年)8月23日、室町幕府将軍足利義稙を擁立する細川高国・大内義興と前将軍足利義澄を擁立する細川澄元との間で、幕府の政権と細川氏の家督をめぐる戦いの場となりました。戦死者は船岡山に積み上げられていたそうです。
船岡山公園には屋外ホールもあります。
昔は血なまぐさいところではありましたが、現在は見晴らしの良い平和な公園になっています。大文字の日以外は混雑することがありません。のんびりと京都の景色を楽しんでください。
アクセス
- 京都市バス「船岡山」下車、徒歩3分