大極殿
古代の日本における朝廷の正殿で大内裏の朝堂院の北端中央にあり、即位の大礼や国家的儀式が行われた場所です。
平安京では、現在の千本丸太町付近にありました。
千本丸太町の交差点にある、大極殿跡の案内板です。今は千本通り(卒塔婆が千本立ったから千本通りと言われる)といいますが、当時は朱雀大路(すじゃくおおじ)といい、幅84mもあるメインストリートでした。
大極殿は南北4間で、朱塗りの柱と瓦葺き入母屋造の屋根に金色の鴟尾を戴く壮大な建物だったようです。
安元3年(1177年)の大火によって焼失し、以後国家的儀式は紫宸殿で行われるようになりました。長い年月の間に大内裏は火災や台風・地震によって荒廃してしまいます。
千本通の西側の歩道を上がっていくと、バス停の後ろに石碑があります。
ここから入るとすぐに碑の前に出ます。
私は丸太町通り西の某銀行の横から上がりました。どん突きに児童公園があります。
「内野児童公園」と言います。公園自体は古いのですが、割合と整備されています。昭和時代の児童公園の雰囲気がプンプンします。今は少子高齢化で子供が少ないですが、昔は休みともなれば、朝から晩まで、子供の声が絶えないにぎやかな場所でした。
ブランコの向こうの金網の中は「プール」です。使っているんでしょうかね。奥の右手が「平安宮大極殿跡」の碑です。
一段高くなったところにとても立派な碑があります。
平安京に関係する史跡には、京都市の案内板が設けられています。
真正面から。国政の中心地だったんですね。
このあたりには、平安宮に関する史跡がたくさんあります。多くは石碑しか残っていませんが、京都の古い町並みが残る庶民的な町です。徐々に近代的なワンルームマンションなんかに建て替えられていますので、今のうちに、京都の古い町並みを楽しんでおいてください。
アクセス
- 京都市バス「千本丸太町」、下車徒歩1分