十五夜の嵐山で琴の音を探す
旧暦の十五夜は終わってしまいましたが、お月見されましたでしょうか。我が家でも、ススキを飾り月見団子を備えて、「おうちで月見」をしましたよ。
今回は十五夜に関係のある旧跡です。そして、音楽や芸事とも関係のある旧跡です。
音楽や、芸事というと京都では、車折神社の末社である「芸能神社」が有名ですが、ちょっとメジャーになりすぎてミーハーな感じがします。その点、白雲神社や、今回訪れる小督塚(こごうのつか)はあまり人が来ず、静かに余韻に浸れるところなのでおすすめです。
小督塚のある場所は嵯峨嵐山ですので、いつものごとくJR嵯峨野線で嵯峨嵐山駅まで行きました。
跨線橋の上から小倉山を見ます。ガラスにちょっと映り込みがありますね。左端に止まっているのは嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車です。
駅の南側に出ました。こじんまりとしたロータリーです。東側には「コミュニティ嵯峨野」があります。
今まであまり気づかなかったんですけど、電柱にこんな看板があったんですね。嵐山と言えばやっぱり渡月橋ですね。
ということで、JR嵯峨嵐山駅から真っすぐ南に歩いて、桂川沿いに出ました。渡月橋がきれいに見えます。
そして、どんどん渡月橋に近づきます。もうほとんど橋のたもとというところまで来ましたが、今回の第一の探索場所はここなんですよ。
第1の旧跡 琴きき橋跡
「琴きき橋跡」の石碑です。ちょっと逆光気味で見づらくてごめんなさい。琴きき橋ってなに? と疑問に思われるでしょう。小督局を探せという高倉天皇の勅を賜った源仲国(みなもとのなかくに)が十五夜の夜に琴の音を探して嵐山をsがしまわったときに、馬を止めてかすかな琴の音を聞いたと言われる橋の跡です。
左の側面には、
「一筋に雲ゐを恋ふる琴の音に ひかれて来にけん望月の袖」
と彫られています。ここで仲国は「想夫恋(そうぶれん:雅楽の曲名)」を聞いたのでしょうね。
なかなかいいアングルになってます。琴きき橋の逸話は第3の旧跡でお話しします。
第2の旧跡 車折神社嵐山頓宮
つぎは渡月橋を渡らずにそのまま西に向かいます。
すぐにあるのが、第二の探索場所である「車折神社嵐山頓宮(くるまざきじんじゃあらしやまとんぐう)」です。「三船まつり」の時にだけ使われる、車折神社の社殿があります。通常時は非公開なので、残念ながら見ることはできません。中も見たいのですが、今回は外側に用事があります。上の画像でもわかると思いますが…
手前の小さな橋の欄干に「琴聴橋(ことききばし)」と彫られています。これが第二の探索の目当てでした。
神額と石碑です。神額は手書きでなんかほっこりとさせられますし、親近感がわきます。
車折神社嵐山頓宮の前から嵐山の方を見るとこんな感じです。葛野の堰が見えます。ここからもう少し西に行き、最初の道を右に曲がると、すぐ目の前に第3の探索場所が現れます。
第3の旧跡 小督局塚
小督局(こごうのつぼね)の塚です。今回は、ここが一番の目的で嵯峨嵐山を訪れました。小督局は琴の名手で京都一の美貌だったという桜町中納言 藤原成範(ふじわら の しげのり)の娘です。
小督局は高倉天皇中宮・建礼門院徳子(けんれいもんいんとくし:平清盛の娘)の侍女となります。冷泉隆房(れいぜい たかとよ:平清盛の娘婿)の愛妾でしたが、後に高倉天皇に見初められ寵姫となります。
隆房は嘆き悲しみ自死してしまいます。これに激怒した平清盛は宮中より小督を追放します。小督は清盛を恐れて嵯峨に身を隠しました。高倉天皇の嘆きは深く、密かに腹心の源仲国(宇多源氏・源仲章の兄)を呼び出して小督を平清盛に見つからないよう秘密裏に探し出して宮中に呼び戻すよう勅を賜りました。
ちょうど仲秋の夜(十五夜)のこと、月が白々と照る中を嵯峨野に出かけた仲国は、小督が応えることを期待して得意の笛を吹きました。すると、見事な「想夫恋」の調べがかすかに聞こえてくるので、音のするほうに向かうと、粗末な小屋に小督が隠れ住んでいました。
最初、小督は清盛を恐れて宮中に戻るのをしぶっていましたが、仲国に押し切られ、ひそかに高倉天皇の元に帰ってきました。2人はひっそりと逢瀬を重ねるのですが、清盛にへつらう者から秘密が漏れてしまいます。高倉天皇との間に範子内親王を産んだ後、中宮より先に子を宿したとして小督は清盛により無理やり出家させられてしまいます。
高倉天皇は憔悴して早世します。高倉天皇の没後、小督局は御陵のある清閑寺に移り、菩提を弔ったということです。
十五夜に仲国が琴の音を聞いた「琴きき橋」は「駒留橋」とも言われたそうですが、渡月橋の南詰には「こまとめばし」と名付けられた橋があります。
小督局の塚です。お花が供えられていますね。男女の間の恋模様は、いつの時代にも切なくもまた炎のように燃え上がるもので、小督局の思いにも共感できます。
音楽、芸事の上達を願うみなさん、琴の名手であった小督局の塚に手を合わせて上達を祈願し、音楽、芸事の「手練れ(てだれ)」たるよう、精進して下さい。きっと願いが叶うことでしょう。
三船まつりの船ではないですが、静かな水面に浮かぶ船はなにがしか風流な雰囲気があります。小督局もこの水面を見ながら高倉天皇を思って琴を弾いていたのでしょう。
実は、京都民の間でささやかれている言い伝えがありまして。ここにはレンタルボートがあるのですが、昔から「嵐山のボートに乗ったカップルは必ず分かれる!」というジンクス(一時期ラジオでも有名であった)があるので、お気を付けください。
別にボート屋さんの営業妨害をしているのではないのですが、私の小さいころからの噂です。別れたとしてもまたいつか戻れるという小督の逸話のように思い続けることが大切ですね。
琴の名手であった小督局のお墓は東山区の五条坂にある高倉天皇陵の傍らにあります。もう愛し合う二人の間を分かつことはできません。来年の十五夜には小督の逸話を思いながら、静かにお月見をしてみてください。
アクセス
- 京都市バス「嵐山天竜自前」下車、徒歩3分
- JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」下車、徒歩10分