「首途」?「門出」?
今回は、「首途八幡宮」です。「首途」は「かどで」と読みます。
首途八幡宮の創建はよくわからないそうですが、現在のお社のある場所は、平安時代、奥州の商人であった金売吉次(かねうりきちじ)の屋敷が建っていたところだと言われています。
また、お社は御所の大内裏の北東(鬼門)に位置することから、御所を守る王城鎮護のお社として重んじられていたそうです。清和源氏の祖の一人である桃園親王(貞純親王:さだずみしんのう)がこの地に邸宅を築いて、その敷地内にたくさんの桃の木を植え、春には桃花祭を行うなど、天皇家からも厚く信仰された社だったそうです。
もともとは「内野八幡宮」と呼ばれるお社でした。「首途」八幡宮と言われるご由緒は、このあとすぐ。
今出川通りの、智恵光院を上がっていくとすぐにあります。北側は「桜井公園」というきれいに手入れが行き届いた公園があります。ここには昔、「西陣五水」の「桜井」があったので、「桜井公園」と呼ばれています。「桜井公園」は、春の桜がとてもきれいです。
正面の画像です。でかでかと看板があるので、もうお分かりと思います。
看板にある通り、ここは源義経(みなもとのよしつね:牛若丸)が奥州に旅立った場所として有名です。
ご由緒書きです。
金売吉次は、奥州で産出される金を京で商う事業を行っていました。源義経は鞍馬寺を抜け出し、金売吉次の計らいで藤原秀衡を頼って平泉に下ります。この時、義経はまだ弱冠16歳。出発の時に「内野八幡宮」へ立ち寄り道中の安全を祈願したとのことから「内野八幡宮」は「首途八幡宮」と呼ばれるようになり、旅の安全を祈願する人たちが参拝に訪れるようになったそうです。
味のある字で書かれた神額です。
一の鳥居をくぐると参道が続いてます。参道の両脇には貞純親王の時代から有名な「枝垂れ桃(しだれもも)」の木が植えられています。
紋のある二の鳥居に来ました。
門戸には鳩のマークがあります。
手水鉢にも鳩。
手水舎の屋根瓦にも鳩。鳩だらけなんですけど、なんで?
鳩は八幡神の神使いとして古代より崇敬されているので、八幡神社には鳩がそのシンボルマークとして、あちこちに飾られています。
さて、二の鳥居をくぐると、すぐに二つの鳥居があります。左が本殿で、右が弁才天です。
それではまず、本殿の方に。神社の外からは見えなかったのですが、本殿は小高い丘のような場所になっています。なので、階段を上がります。
本殿の鳥居の横の階段です。同じ本殿につながっているのですが、まっすぐではなく、くねくねと曲がっており、高低差もあるので、立体感のある構成になってます。ちょっと不思議な空間です。
小高い丘の上に上がると、本殿があります。八幡宮が建てられた当初は、小さな祠(ほこら)が建てられていただけでしたが、昭和40年代に西陣の人たちによって社殿がつくられました。
まずはお詣りです。
本殿の屋根にも、鳩のレリーフがあります。
本殿から下を見るとこのようになってます。階段が曲がっていて、木が立体的に植えられているので、広い空間が凝縮されているような不思議な感覚を覚えます。狭い境内を神秘的な場所と感じられるような工夫ではないのかと思ってしまいます。
本殿の建つこの場所は、天皇家が厚く八幡宮を信仰したことから、一説には「首途八幡宮」は墳墓の上に建てられているという話もあります。
先ほどの右側の鳥居をくぐります。
すぐ前に、弁財天が祀られています。
絵馬には縁起のいい白いハトと、桃の花が描かれています。
源義経
「首途」のいわれとなった源義経は、河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸(うしわかまる)と呼ばれました。平安時代末期の平治元年(1160年)、平治の乱で父義朝が敗死したことにより鞍馬寺に預けられますが、鞍馬寺を参詣した金売吉次と出会い、承安4年(1174年)吉次の取り計らいで奥州平泉に向かい奥州藤原氏の当主・藤原秀衡と面会し、庇護を受けることとなります。
「源義経奥州首途之地」と立派な石碑があります。
「首途」は「門出」とはちがうのでしょうか? 「首途」には「門出」という意味があるのですが、ただ出発するというだけではなく、「何か大きな人生の転機に乗り出す」という意味が含まれるそうです。「首」には「最初」という意味があるので、うなずけますね。
源義経は、「内野八幡宮」にお詣りすることで「首途」を手に入れ、奥州藤原氏の庇護を受けます。そして、平家に反旗を翻し、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て数々の功労、戦勝により平家を滅ぼす原動力となりました。しかし、兄・頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平家との戦いにおける独断専行によって怒りを買ってしまいますが、義経はこのことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされてしまいます。難を逃れ再び藤原秀衡を頼ったのですが秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ、最後は現在の岩手県平泉町にある衣川館で自刃しました。
源義経はいろいろな逸話があります。京都で有名なのは、「五条大橋で武蔵坊弁慶と戦ったこと」や、「奥州平泉に旅立つときに馬が蹴り上げた水で衣服が汚れたことに激昂して平家の従者を切り捨てて『蹴上』という地名のいわれとなったこと」などがあります。
「首途八幡宮」は、特に旅立ち、旅行安全の神として信仰を集めていますが、人生の転機に吉兆を得られるパワースポットなので、ぜひともお詣りいただいて、人生という長い旅の安全を手に入れてください。また、4月の桃の季節には、美しい「枝垂れ桃」でお花見をしてください。
アクセス
- 京都市バス「今出川浄福寺」下車、徒歩3分