八大神社 再訪
以前にも記事を書きました、「八大神社」を再訪しました。「一乗寺下り松の決斗」で有名な、宮本武蔵ゆかりの神社です。
以前の記事はこちらです。お時間あれば読んでみてください。
https://www.kyoto-inf.com/guide-kyoto/2017/07/18/posted-itijojisagarimatsu/
「一乗寺下り松」のバス停から西に歩いてくると、「一乗寺下り松」と「八大神社」の鳥居があります。そこにある案内板です。
「我れ神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず」と書かれています。これが武蔵の悟りですね。
最初の鳥居から、山の手の方に歩いていくと、「詩仙堂」を通り過ぎて、その隣が「八大神社」です。二の鳥居を過ぎて、境内に向かうと「宮本武蔵 一乗寺の決斗」のポスターなどが貼られています。
昭和39年(1964年)の東映映画で、武蔵は「中村錦之助」お通は「入江若葉」です。そして、佐々木小次郎は「高倉健」です。なんと、健さんが出てるんですよ。
さて、手水舎でお清めします。
本殿に上がります。本殿は南向きの社殿です。
久しぶりのお詣りになります。
やっぱり、秋の神社は良いですね。氏子さんたちが境内を掃除されてました。さわやかな空気の中で、お詣りができましたよ。
境内
境内を回ります。一番に目に飛び込んでくるのがこれです。
カッコイイ「宮本武蔵」像。若いですね。
剣豪「宮本武蔵」が悟りを開いた いきさつが書かれています。
初代「一乗寺下り松」です。
現在も保存されている「一乗寺下り松」ですが、決斗の地にあるのは第4代「一乗寺下り松」だそうです。
岐阜県本巣郡根尾村のある「薄墨桜」から植樹されたものです。満開を過ぎると、花びらの色が薄い墨色に変わるのでこの名前が付けられています。根尾村のものは、継体天皇が手植えしたと伝えられ、樹齢千五百年にもなり、大正11年(1922年)に、国の天然記念物に指定されています。
根尾村の「薄墨桜」は、見に行ったことがありますが、それはもう巨木でたいそうご立派な桜です。
今は、桜の季節ではないので、花は咲いてません。ご本尊の「薄墨桜」に比べると、まだまだ若木ですね。
八大神社の剣鉾
「八大神社」再訪の目的はこちらです。
上の画像、なんだかわかりますか。これは「剣鉾(けんぼこ)」という祭具です。「剣鉾」は,祭礼のお神輿(みこし)の先導を務め,悪霊を鎮める祭具です。
「剣鉾」が確認できる最古の記録は、平安時代に入り御霊(ごりょう)信仰と結びつき,貞観11年(869年)の祇園御霊会の創始の際に,「神泉苑(しんせんえん)」に66本の鉾を建て疫病退散の祈願が行われたとされるものです。それ以前から「剣鉾」はあったようですが、原形が何なのかは定かではありません。また、上の画像のような形になったのは、室町時代の当初からだそうです。
「八大神社」には「柏」「龍」「菊」の三基の剣鉾があります。今回の訪問時に展示されていたのは「龍(りょう)鉾」、「菊鉾」の二基です。二つの鉾の吹散、龍鉾の棹も合わせてかざられており、また、剣鉾差しの写真や解説資料もパネル展示もありました。
左が「龍(りょう)鉾」、右が「菊鉾」です。
「龍(りょう)鉾」の「神額(八大天王と書かれている部分)」と「錺(かざり:龍の装飾)」の部分です。
「剣鉾」は、京都で今も使われている、特殊な祭具です。現在、京都市内の三十数社に約二百本余りの剣鉾があるそうです。春や秋の神社のお祭りでは、「剣鉾」を先頭にしたお神輿がよく見られますので、ちょっと覚えておくと興味がわいて、お祭りの見方が変わると思います。
アクセス
- 京都市バス「一乗寺下り松」下車、徒歩10分