柴國大明神 うさぎのおうち?

 洛外の神々

「柴國大明神」が鎮座する、京都市北区出雲路神楽町は、今では住宅街が連なっていますが、大昔は田んぼや畑ばかりのところでした。平安遷都前は愛宕(おたぎ)郡出雲郷と言って、豪族の出雲氏が住んでいたところです。なので、このあたりの地名や古くからの神社仏閣には「出雲路~」と呼ばれるところがたくさん残っています。

当然、平安時代には平安京の外側(洛外)であり、安土桃山時代に豊臣秀吉の築いた御土居の外側でもあります。

今日は、その出雲路の住宅街にある「柴國大明神」を訪れています。

柴國大明神 No2

「柴國大明神」は京都市バスの「出雲路神楽町」から歩いてすぐのところです。「河原町今出川」から歩いても10分もあれば到着します。実際に来てみると、「柴國大明神」は家と家の間のとても狭い空間に鎮座されてます。さぞかし窮屈でしょう。

昔、日本の家は「うさぎ小屋」と揶揄されたことがあります。昭和50年代のECの報告書の中に、「日本は西欧人から見ると、うさぎ小屋のような家に住む労働中毒の国」と書かれており、日本では自嘲的に狭い家々を「うさぎ小屋」と呼ぶことが流行しました。当時は高度経済成長の終焉期で地価はどんどん上がり、都会ではなかなか広い土地を一般の人が購入するということが困難な時代となってました。

神様の祠を「うさぎ小屋」なんて言ったら、バチが当たりますが、こんな狭いところに神様が鎮座されているとは、西洋人からすると、とっても考えられないことのようです。日本では、森羅万象に八百万の神が宿ると言いますが、それにしても狭いところですね。

隣に住む住人の人も、神社が真横にあるというのは気を使って大変ではないのでしょうか。それとも、それだけ人々の生活の中に溶け込んでいるということなのでしょうか。

柴國大明神 No3

敷地の真ん中には御神木と思しき木があります。もうすでに枯れているのですが、大事にされています。

もともとは、何もない農地の真ん中にあったのでしょうが、平安遷都以降、京都の市街が広がるにつれて、いつしか住宅の中に飲み込まれていったのでしょう。間口の幅は2mもありません。「柴國大明神」の創祀やご由緒等は、残念ながら不明です。

柴國大明神 No4

祠の前には南天の木がありますね。

柴國大明神 No5

きれいに手入れがされています。ご近所の方々がされているのでしょう。鈴緒にも年季が入ってますね。

柴國大明神 No6

御神体が2体鎮座されています。どんな神様なのか、詳細は不明です。ご近所の方が通られたら訪ねてみようと思ったのですが、どなたも通られず、仕方なく次の訪問地に向かいました。

歴史を見てみると、京都は地震の被害は少ないのですが、応仁の乱や大火が度々あり、古くからの神社仏閣も焼失したり、遷移したりしています。洛外の方に行くほど、古代から続く神社仏閣がそのままの姿で残っていることが多いです。交通の便は少し悪くなりますが、京都市近郊の神社仏閣も訪れてみてください。

アクセス

  • 京都市バス「出雲路神楽町」下車、徒歩2分

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