法然水 百万遍 誕生の地

 法然上人が水を汲んだ閼伽井

相国寺の北の住宅街に、法然上人が水をくんでいたと伝わる閼伽井の跡が残っています。

「法然水」と呼ばれるその井戸跡は、現在涸れてしまっていて、井桁のみが残されています。

法然水 No2

「法然水」は住所で言えば、上京区相国寺門前町という住宅街の一角に、白壁の塀に囲まれてひっそりと存在しています。

法然水 No3

「法然水」と彫られた井桁のみが存在しており、井戸は埋められてありません。

法然水 No4

かつて、この付近に上賀茂社神宮寺(神宮堂)というお寺がありました。天台宗を完成させた慈覚大師(じかくだいし)円仁の作という釈迦像を安置しており、「今出川の釈迦堂」「賀茂の河原屋」とも呼ばれていました。

9歳で出家した法然は、天養2年(1145年)、13歳の時に比叡山延暦寺に登ります。源光、叡空に師事し、18歳で法然房源空と改名しました。25年にわたり修行を重ね、承安5年(1175年)、浄土宗を開いた法然は比叡山を下ります。

法然は、加茂宮司の懇請により、「神宮堂」「河原屋」と呼ばれる草庵に住みました。法然は引き続きこの地で念仏修行を行い、庵は、「加茂河原屋」「加茂禪房」「加茂の釈迦堂」などとも呼ばれていました。賀茂神社に度々参詣した法然は、法然水の水を汲んで閼伽井に用いたとのことで、史跡として残っています。

法然水 No5

法然の弟子で第2世の「源智」は、文暦元年(1234年)、ここに御影堂を建てて師恩に報いるという意味で、「功徳院神宮堂」とし、師である法然の御影を安置し、浄土専修念仏道場としました。その後、如空が「功徳院神宮堂」を「功徳院知恩寺」と改称します。元弘元年(1331年)第8世の善阿空円のとき、京都に疫病が蔓延し、後醍醐天皇の勅により空円が「念仏百万遍」を行い疫病を治めたことから「百万遍」の号が下賜されました。

そして室町幕府第3代将軍、足利義満による「相国寺」建立にともなって、一条通小川(現:上京区元百万遍町)に移転します。また、豊臣秀吉の寺地替えにより土御門に移転しますが、江戸時代に東大路今出川で再興し、現在の「知恩寺」となります。この「知恩寺」から、東大路今出川は「百万遍」という地名で呼ばれています。

ここが、「百万遍」の誕生の地であるわけですね。

「法然水」は残念ながら、井戸がかれてしまっているので、どんな水が汲めたのかは不明です。さぞかし清らかな水であったのでしょう。

浄土宗の史跡として保護されていますが、住宅街の中に、ただポツンとあるだけなので、何か良い活用があればいいのですけどね。

アクセス

  • 京都市バス「出雲路俵町」下車、徒歩7分
  • 京都市営地下鉄「鞍馬口」下車、徒歩5分

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