横井小楠殉節地 だ、誰?

 あまたの石碑

このページを見に来てくれた、ほとんどの人が「横井小楠(よこいしょうなん)」を知らないと思います。

私も知りませんでした。

丸太町通りを歩いている時に、ふと寺町筋の方を見ると、なんかの石碑が立っているな、と前から気にはなっていました。でも、わざわざ見に行くこともありませんでした。なんせ、京都市内には、あまたの石碑があって、いちいち見てると時間がいくらあっても足りないぐらいです。

で、今回、やっと見に行きましたので、ご報告。

横井小楠殉節地 No2

これですよこれ。丸太町通りから寺町通りに入ってすぐのところです。「いやぁ、なんかあるなぁ。」ぐらいにしか思いませんよね。

横井小楠殉節地 No3

近くに行くと「横井小楠殉節地」と書かれています。

「横井小楠」ってだれ? 歴史の教科書に出てる?

というのが最初の疑問。わからないので調べてみました。

「横井小楠(よこい しょうなん)」は、熊本藩士で江戸で朱子学を学びますが,安政の頃には開国論者となります。熊本藩において藩政改革を試みますが、反対派による攻撃により失敗してしまいます。その後、福井藩の松平春嶽に招かれて政治顧問となり、幕政改革や公武合体の推進などにおいて活躍しました。明治維新後に新政府に参与として出仕するのですが、上の写真の場所で十津川郷士ら6人組に暗殺されてしまいました。暗殺の理由は「横井が開国を進めて日本をキリスト教化しようとしている」といった事実無根なものであったといわれています。

災難ですね。ほんとに。

そういえば、十津川郷士たちの拠点となった「十津川屋敷跡」は、丸太町通りを挟んでこの石碑と反対側(北側)にありますね。そちらも訪れてみましょう。

ちなみに、小楠はお酒を飲むとたちがわるかったようです。

小楠のお墓は南禅寺の天授庵にあるそうなので、一度参ってみたいです。

アクセス

  • 京都市バス「河原町丸太町」下車、徒歩2分

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