京都になぜ「十津川」?
昨日紹介した、「横井小楠殉節地(よこいしょうなんじゅんせつち)」の石碑がある寺町丸太町からすぐのところです。
横井小楠を暗殺した、十津川郷士の詰め所の趾なのですが、「横井小楠殉節地」のすぐ近くなんですね。丸太町通りを挟んで反対側同士になります。
丸太町通りから、寺町通りの一本東にある「新烏丸通り」を上がって来るとすぐにあります。現在は普通のお宅が立っていますね。
比較的新しい石碑で平成21年(2009年)に建てられたそうです。
昔は、奈良県南部の新宮川(熊野川)水系流域にはおよそ60の村があり、総称して「十津川郷」と呼ばれていました。「十津川郷士」とは、十津川郷に在住していた郷士集団で、古くから朝廷に仕えており、純粋な勤皇の武力集団でした。幕末になると、薩摩、長州、土佐等と並んで宮廷警護を命ぜられました。その「十津川郷士」の屋敷跡です。
現在は十津川というと、「十津川村」を指すようですが、古代には大変広い地域を指していたようですね。「十津川村」ではゆるキャラは「郷士くん」を広めて、観光誘致しているようです。「郷士くん」は勝手には引用できないので、下のリンクから見てみてください。
「郷士くん」もコピーライトは2009年となってますので、この石碑と同時期であることから、村の観光政策の一環として整えられたものでしょう。
アクセス
- 京都市バス「河原町今出川」下車、徒歩2分