洛外の神々
先日紹介した「柴國大明神」のすぐ近くにある神社です。
「末菊大神」も、平安京からはだいぶんと離れており、豊臣秀吉の築いた御土居(おどい)の外側でもある、「洛外」にあたります。「出雲路俵町」という住所からわかるように、出雲氏が治めていた愛宕(おたぎ)郡出雲郷でした。
まずは、「末菊大神」を訪れます。京都市バス「出雲路神楽町」を下車して、加茂街道の土手から、少し西に入った住宅街です。河原町今出川の交差点からでも10分も歩けば到着します。
こじんまりとはしていますが、造りはしっかりとしたものです。
「菊末大神」の道の反対側にある住宅の並びは「出雲路神楽町」です。上の画像のように、「俵町」と「神楽町」の字が見えます。
神額には「瘡神 末菊大神」とあります。「瘡神」とは「出もの腫れもの」の神様で、京都では「くさがみ」と呼ぶことが多いです。他の地方では「かさがみ」と呼んでいるようですね。
「瘡(くさ)」とは、「子供のおできや湿疹」を指すのですが、昔は「疱瘡」つまり「天然痘」除けの神様であったわけです。その他にも、性病である「梅毒」除けにもなると信仰されていました。医学が発達していない時代においては、「子供のおでき」も「疱瘡」も「梅毒」も、症状的には「ただれ」ができるのが共通点で、どれも病気の神が引き起こしているものとして恐れられていました。この「瘡神」さんの怒りを納めることで、病気の流行を抑えられると信仰されていたのですね。
「末菊大神」も創建やご由緒は不明です。紫色の神前幕がとてもきれいです。なかも、地元の方々がきれいにお手入れされているようですね。
「疱瘡(天然痘)」は不治の病で感染力も強く、流行するとどうすることもできない病気でした。流行ると一家全滅どころか、なすすべもなく村が全滅するような病気だったのでとっても恐ろしかったと思います。
「末菊大神」は御土居のすぐ外側に当たる場所に鎮座しています。御土居を建設するにあたって、豊臣秀吉も「瘡神」はとっても怖かったのでしょう。洛中の中に入ってません。
「末菊大神」も、「天然痘」が洛中に入ってこないように、病気が蔓延しないようにという、昔の人々の願いが込められた神社です。原因がわからないもの、対策がないものに対しては、神の仕業であるから、あがめ祀ってその怒りを鎮めるしか手がなかった人々の胸中が察っせられます。
アクセス
- 京都市バス「出雲路神楽町」下車、徒歩2分