大石屋敷
いままで、あまり紹介しませんでしたが、今回は山科区です。京都市営地下鉄が六地蔵まで走っているので、山科は近くなったのですが、あまり用事がないので行くことがありません。なので、私もあまり詳しく知らない場所が多いです。今回もわくわくしながら歩き回りましたよ。
日ノ岡峠から勧修寺に向けて通っている大石道は北花山過ぎたところで、道が少し左寄りに曲がります。その曲がるところに、「いなり山」道標があります。
Google Map を見ていたので、この辺りにあることはわかっていたのですが、はて?どこだろなと周りを見回すと、ありました。
なんと、マンションの敷地内です。
よくぞ残してくれました。でもなんか、今の道の走り方とは少しずれていますね。
[西の面] 右 いなり山
[北の面] 左 大石屋敷
と彫られています。日ノ岡(三条通り)や渋谷街道(五条通り)の方からくると、右の道へ行けば「いなり山」つまり、お稲荷さん(伏見稲荷神社)へ行く道で、左へ行くと「大石屋敷」つまり、大石内蔵助が隠棲した現在の大石神社辺りに行く道であることを示しています。
山科の地図を見ていただくとお分かりのように、都市開発とは無縁とも思われる、つぎはぎの道が多いです。昔使っていた道が狭くなると、すぐ横の田んぼをつぶしてバイパス道として元の道よりも大きい道を作っていくという手法を繰り返したため、道がくねくねとくねりながら細くなったり太くなったりを繰り返しています。
この道標も、どこかから移設してきたのかもしれません。でも一見、今の道のつながりとずれているようにも見えていても、田んぼばっかりののどかな時代には、今とは違ってもう少しストレートに道が走っていたのではないでしょうか。わざわざ道標を残しているところを見ると、私には移設された道標ではなく、建てられた当時からこの辺りの場所であったのではないかと思われます。
地図を見てみると、「いなり山」の方角には細い道がとぎれとぎれではありますが、醍醐道をかすめてその頂上の方まで続いています。「大石屋敷」の方角には大石道や新大石道などの道が真っすぐ大石神社や岩屋寺の方まで続いています。
大石屋敷は江戸時代から有名であったようで「拾遺都名所図会」のも掲載されているぐらいでしたから、昔の人も良く訪れたのではないでしょうか。私には、その時の分岐点のしるしに思えてなりません。
アクセス
- 京阪バス「川田道」下車、徒歩7分