尊勝寺跡 六勝寺跡巡り その4

 末代の賢王

「六勝寺跡巡り」の4番目は「尊勝寺跡」です。

「尊勝寺」は白河天皇の第二皇子である堀河天皇の御願寺で康和4年(1102年)に落慶供養が行われ,方四町の敷地には様々な堂舎が建てられました。「尊勝寺」は六勝寺の中で2番目に建立された寺院です。創建後,たびたび災難に遭ったのですが,そのつど修復されています。しかし南北朝の内乱期に兵火で全焼したと伝えられています。

堀河天皇は応徳3年(1086年)立太子と同日に8歳で父白河天皇から譲位され即位しました。即位に伴って、義理の外祖父にあたる関白藤原師実が摂政となって実権を握り、摂関政治への回帰が見られた時期でした。堀河天皇が成人して関白も藤原師通に代わると、白河上皇の政治関与に批判的な師通は、自ら政務を執ろうとする堀河天皇に協力的であり、親政に近い状態が続きます。堀河天皇は「末代の賢王」と評される賢帝として有名です。

しかし藤原師通が亡くなると、白河上皇の政務への関与が再び強り、堀川天皇の興味は管弦や和歌といった趣味の世界に移っていきました。そして白河上皇の院政が敷かれてしまいます。堀川天皇は生来病弱で、天皇在位中に29才で崩御したため院政をおこなうことはありませんでした。堀河天皇自身は「末代の賢王」として名を残していますが、在位の期間は短かったにもかかわらず、天変地異や疫病が多かったために6回も元号が変わっています。

それでは「尊勝寺跡」を訪れます。

尊勝寺跡 No2

「ロームシアター京都」の北側にある「京都市美術館別館」です。

尊勝寺跡 No3

パッと見て美術館とは思えませんよね。

尊勝寺跡 No4

その「京都市美術館別館」正面入り口の右手に「尊勝寺跡」石票と案内書きがあります。

尊勝寺跡 No5

「京都市美術館別館」にばかり目が行って、こちらの石票はなかなか気づかないですね。

尊勝寺跡 No6

院政期の「六勝寺跡」について書かれています。

そして「尊勝寺跡」はもう一つ案内書きがあります。

尊勝寺跡 No7

こちらは「桜馬場通り」の丸太町を下ったところにある案内書きです。

尊勝寺跡 No8

現在は西天王町団地になっており、ここが造成された昭和61年(1986年)に発掘が行われました。御堂跡が発掘されています。

尊勝寺跡 No9

「六勝寺」の中では「法勝寺」に次ぐ広さのあった「尊勝寺」です。東は「ロームシアター京都」の東の端、西はもう少しで東大路通に届くほどのところ、南は二条通から北は丸太町通まで達しました。遺構としては潅頂堂(かんじょうどう)跡、五大堂跡、九躯阿弥陀堂跡(史上最大規模)、観音堂跡、塔跡が発掘されています。他に、金堂、曼荼羅堂、講堂、薬師堂、経堂、中門、南大門、鐘楼などがあったそうです。東西に2基の五重塔が建てられていおり、潅頂堂では朝廷に関わる国家的な結縁潅頂(けちえんかんじょう:密教儀式の一つ)が行われていました。当時、仏教の中心地のひとつであったのでしょうね。

アクセス

  • 京都市バス「岡崎公園 ロームシアター京都前」下車、すぐ

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