地域と神社
山科の北花山大峰町にある「六所神社」です。「六所神社」は全国に同じ名前の神社がたくさんありますが、ここ山科にも、もう一つ「六所神社」があります。場所もけっこう近いのでややこしいです。
京都府庁に残っている明治時代の文書によれば、北花山の「六所神社」は、その由緒を「陽成天皇御宇元慶年中(877~884)僧正遍照ノ勧請」「月日不分明。書類等ハ応仁ノ乱ニ焼失ス」と書かれているそうです。元慶寺の鎮守として遍昭僧正が勧請した社でしたが、実際に建立されたのは光孝天皇時代の仁和3年(887年)でした。
「六所」というのは、六柱の神様をご祭神とすることによる場合と、その国の一宮から六宮までのご祭神を勧請して総社としたことによるものがあるそうです。北花山の「六所神社」は前者であって、伊勢の天照皇大神、尾張の熱田大神、山城の加茂大神、 山城の八幡大神、大和の春日大神、近江の日吉大神の六柱をご蔡神として祀っています。
「北花山」は天智天皇の時代には「華頂」、桓武天皇の時には「花山」に、天正17年(1589年)には上花山、下花山、北花山に分割され、寛保の時代に下花山と北花山が合併し、現在の「北花山」となっています。「六所神社」は平成になって大鳥居や本殿を新しく建て直すという大改築がなされており、現在でも「北花山」の産土神として崇敬されています。
入り口の道路わきにある「六所神社」の石碑です。
山科では地域でのお祭りが盛んです。
その横に井戸跡がありました。
こんな山手でも水が湧いたんですね。残念ながら現在は枯れてしまっていて、中は埋められています。
六所神社のご由緒です。読みにくいかもしれませんので引用を載せておきます。
六所神社の起源と北花山
六所神社は、第五十八代光孝天皇の仁和三年に創立され、伊勢の天照皇大神、尾張の熱田大神、 山城の賀茂大神、 山城の八幡大神、大和の春日大神、近江の日吉大神の六神を奉祀している。 依って、六所神社と稱した。
当所、元慶寺の開基、遍昭僧正の勸請によって元慶寺の鎮守であったが、 現今は北花山の産土神(氏神)として約千百年の歴史を有している
北花山は、山科七郷にひとつで、第三十八代天智天皇の時代に、郷名が華頂、第五十代 桓武天皇の京都遷都から花山に変り、天正十七年に、上花山、下花山、北花山に 分割されたが、寛保の時代に、下花山を合併して、今日の北花山となったと言われている。
なお、明治二十二年二月町村制施行で、宇治郡山科村、大正十五年十月宇治郡山科町、昭和六年 四月に京都市東山区に編入、昭和五十一年十月京都市山科区となった。
由緒ある六所神社と、古い歴史に彩られた郷土北花山を、後世につたえるため、六所神社大鳥居 の建設に際しこれをしるす。
平成二年八月吉日
六所神社境内の説明書き石碑より
さて、境内へ入りましょう。一の鳥居です。
石の神額です。「六所神社」としっかり彫られています。
「納札所」がありました。
御祭神が示されています。「六所」ですね。
末社ですが、詳細はよくわかりません。
きれいな石段です。
石段を上がると手水舎がありました。
拝殿です。
本殿です。
御神体は直接拝めませんでした。
境内横の方にはなにやら、大きな瓦と石垣があります。
境内はJR東海道本線の真上にあります。御神水井もかれてしまいますよね。
もと元慶寺の鎮守で、北花山の産土神であることはわかったのですが、同じ山科区にある上花山旭山町の「六所神社」との関連性は何もわかりませんでした。全然関連はないのでしょうか。場所的にはすぐ近くなのですが。上花山旭山町の「六所神社」も訪れてみましょう。
アクセス
- 京阪バス「北花山」下車、徒歩2分