悠久 市制100周年モニュメント

 これは気づかない...

京都市左京区にある岡崎公園は、美術館や図書館などのある京都の文化の中心地です。

公園内でもいろいろなイベントが開かれますし、平安神宮もあるので観光の方もたくさん訪れるところです。

建物もたくさんあるのですが、石票やモニュメントなどの何かの記念となる造詣がたくさんあります。

そんな中で、これはあまり話題に上らないし、京都民でも知らない人の方が多いと思われるモニュメントを紹介します。

京都民の方、これ知ってますか?

悠久 モニュメント No3

「これ、モニュメントだったの?」とか「しらんわ。」で終わってしまいそうな造詣ですね。

「京都勧業館みやこめっせ」の前にある「悠久」と題されたモニュメントです。上の画像の石の台座の端の方に刻まれていますね。

悠久 モニュメント No4

拡大するとこんな感じです。

「市制施行100周年記念平成元年4月1日建立」

となってます。

よくわからないので調べてみると、日本で市制が敷かれたのが明治22年(1889年)でした。その時には全国で39の市が誕生しています。でも、東京、京都、大阪の3都市は政治においても重要な地域なので「市制特例」によって「自治権」が制限されていました。つまり現在のような市長、市役所が存在せず、「市」と言いながらも「京都府」によって直接管轄されていたのです。

そこで立ち上がったのが京都市民。なんせ長い間、都であった京都から天皇陛下は東京に行かれるわ、京都府下との一緒くたの統治にされるわ、で黙っているわけがありません。

特に京都市内の中心部である京都盆地に住んでいる人々は「京都」というよりも「都」にプライドを持っており、ただそこに住んでいるというだけで別格であるという気持ちを持っていました。平安京の中から、嵯峨嵐山に左遷されるだけで死ぬよりもつらいといってみたり、洛中に住んでる人は洛外に住んでる人をさげすんだりと、昔からそれはもう京都盆地に住むということが一種のステータスだったんですね。

私の母親でさえ、京都市内から府下に引っ越すときには、都落ちだといって悲しんでいましたし、本籍地は絶対京都市内から動かさない!とガンと言ってききませんでした。京都の真ん中には何か惹かれるものがあるのか、魔物でも住んでいるんでしょうね。

当時の京都市民は明治政府に対して力強い運動を繰り広げ、「市政特例」を撤廃させてしまいます。そして明治31年(1898年)に市民の手によって京都市長を選任し、専任の京都市職員を置き、京都市役所が開庁されたのです。このことより京都市は明治31年を自治開始年としています。

さてそこでこの「京都市制100周年記念」のモニュメント「悠久」ですが、制作したのは京象嵌の川人象嵌だそうです。このモニュメントの中にはタイムカプセルがあって50年後、100年後に開封されるそうです。

その「悠久」をよく見てみると、4つの絵が描かれています。何ともユーモラスな絵なのですが、天之四霊である四神(ししん)が描かれています。現代版の四神ですね。ちなみに四神とは、東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武です。

悠久 モニュメント No5

北の「玄武」です。

悠久 モニュメント No6

東の「青龍」です。

悠久 モニュメント No7

西の「白虎」です。

悠久 モニュメント No8

南の「朱雀」です。

何とも面白い現代版の四神をあしらったモニュメントですが、知名度はいま一つですね。岡崎公園に行くことがあったら、一度見てみてくださいね。

四神といえば、これはなかなか神秘的でしたよ。

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アクセス

  • 京都市バス「岡崎公園ロームシアター京都前」下車、すぐ

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