祇園祭の起源
「八坂神社御供社(ごくうしゃ)」は京都の三大祭りの一つである「祇園祭」の起源になった神社です。
貞観5年(863年)に京都で疫病が大流行します。当時、疫病が流行するのは恨みを残して亡くなった人の御霊の祟りだと考えられていました。多くの御霊を鎮めるために平安京内の広大な庭園だった「神泉苑」の池のほとりで御霊会(ごりょうえ)が行われました。貞観11年(869年)、当時の律令制度の国の数である66本の鉾を作り、「神泉苑」の南端(現在の八坂神社御供社)に鉾を立てて「祇園社(現在の八坂神社)」から三基の神輿を出して行列する御霊会が開かれました。これが現在の祇園祭の原形だそうです。後に「神泉苑」の東南端の地に社が置かれ、これが「御供社」になりました。
江戸時代初期に「徳川家康」が「二条城」を築城した時に「神泉苑」は大幅に縮小されましたが、建物も行事も大切に継承されてきました。「御供社」は明治39年(1906年)に「八坂神社」の末社となり現在に至ります。
「八坂神社御供社」は「三条通り」に面しています。
「三条通り」です。「千本通り」から「堀川通り」まではアーケードが続く「三条商店街」となっています。生活感バリバリの商店街です。でも、最近は堀川寄りの地域におしゃれな店が増えているんですよ。上の画像のように「八坂神社御供社」の横断幕が掲げられています。
写真を撮ったのが正月なので、日の丸が掲げられています。
その一角にある「八坂神社御供社」です。
鳥居だけアーケードの中に入ってます。しかし立派で存在感がありますね。
「八坂神社御供社」と書かれています。
祇園祭では、「四条御旅所(四条寺町東入る)」に一度神輿を安置した後、再びこの地に神輿が移るため、「又旅御供社」、「またたびさん」との愛称で呼ばれます。
「本殿」です。朝早いので、光が当たっているところと当たってないところがあって、うまく写真が撮れません。コンデジではこれが限界。
アクリル張りになっているので、中がうまく写せません。今日はあまりいい写真が撮れてませんね。
御神木でしょうか。大きくなりすぎたのか、途中で切られていますね。
「八坂神社御供社」は商店街の中の、日常に溶け込んだ小さな神社でありますが、ここから「祇園祭」が始まったという、とっても由緒正しき神社です。こういう歴史のある神社が、庶民の生活の中に当たり前のようにあるのが京都らしいですね。
アクセス
- 京都市バス「堀川三条」下車、徒歩5分
- 京都市営地下鉄「二条駅前」下車、徒歩7分