開国と産業の発展
京都市左京区の岡崎公園はもうすでに何回も紹介していますが、まだまだ紹介しきれていない色々な建物や石碑、モニュメントなどがあります。
今回は「ワグネル博士顕彰碑」を紹介します。
日中は観光の方も多くて、とてもにぎわう岡崎公園ですが、日の暮れ時になると、ぱったりと人通りもなくなり静かです。
外灯に灯がともり、「黄昏」どきですね。仕事帰りの身には、ああ今日も終わったという実感がわいてきます。
上の画像で真ん中の平べったい大きな建物が「京都勧業館みやこめっせ」で、その左手の白っぽい建物の手前に「ワグネル博士顕彰碑」があります。
では行ってみます。
児童公園の一角なのですが、石碑が立っていて、その後方に「ワグネル博士顕彰碑」が見えます。
前に自転車が止められてたりして、なんという庶民的な場所なのでしょうか。上の画像の左手には「京都市電」の展示車両が見えますね。
ワグネル博士はドイツ人で、正式には「ゴットフリード・ワグネル」という名前です。ドイツ語読みでは「ヴァーゲナー」と発音するそうです。
顕彰碑は遠目にはそれなりの大きさにしか感じられませんが、近くに来るととても大きいですよ。
ワグネル博士は明治11年(1878年)に第2代京都府知事・槙村正直に招かれて、「舎密局(せいみきょく)」や「京都医学校(京都府立医科大学の前身)」で教授、指導をしています。ワグネル博士は化学者であり、特に工業化学の指導を行い日本の近代化に貢献しました。中でも化学工芸の分野で造詣が深く、陶磁器や七宝焼釉薬、ガラスや染色の技術改善に大きな功績があります。五条坂に舎密局管轄の陶磁器実験工場を建設しています。
残念ながら、明治14年(1881年)、舎密局の廃止により失職してしまい、東京大学理学部化学科教授として製造化学を教えることになりました。京都と密に関係があったのは3年間ですが、来日してから61歳で亡くなるまでの間、日本各地で化学工業の進歩に力を注いだ人でした。
明治初期の日本は開国とともに、西洋の文化が流れ込んできて大きな発展を遂げたのですが、その陰には日本の近代化に貢献してくれた、たくさんの外国人の存在がありました。彼らの目にも、大きく変貌を遂げていく「日本」という国はとっても魅力的に写ったことでしょう。彼らのおかげで、現在の日本が第一級の工業国として成り立っているのだと思います。
アクセス
- 京都市バス「岡崎公園ロームシアター京都前」下車、すぐ