大正時代 好景気から大不況へ
今日は大正モダン建築といわれる「旧京都中央電話局上分局」を紹介します。この建物は大正12年(1923年)に建てられたもので、当時の逓信省技師であった「吉田鉄郎」の設計です。施工は清水組が行っています。
まずは見てみましょう。
鴨川の下流から眺めた「旧京都中央電話局上分局」です。
このBlogの中でも、背景などに何回か登場しています。
場所は私の通勤経路の「丸太町通り」で、賀茂川の右岸(西側)にあります。
この建物が大正時代の建築とはなかなか思えません。ドイツの古民家をモチーフにしてデザインされたそうです。
あまり違和感なく京都の町の風景に溶け込んでいます。「旧京都中央電話局上分局」が建てられたのは、第1次世界大戦後の好景気に沸く日本が、米騒動や関東大震災を経て、大不況となり第2次世界大戦へと突入していった転換期に当たります。それまでの好景気によってもたらされた、大正モダンという文化の影響を大きく受けている建築です。
昭和57年(1982年)に補強工事を行い、竣工時に近い姿に復原されて保存がはかられており,「京都市登録有形文化財」から,さらに国の「登録有形文化財」となっています。
縦の直線に力がありますね。
「女紅場」の石票があります。明治時代の女紅場が、このあと大正時代に電話局になったんですね。昭和34年(1959年)に廃局になっています。
当時の洋館風建物なので天井が高いです。現存するRC(鉄筋コンクリート)造電話局舎の中でも最も古い建築の一つです。
説明書きがあるのですが経年変化で読みにくくなっています。
「旧京都中央電話局上分局」の中は、現在は「Fresco」というスーパーになっていますが、以前は「Carnival Times(カーニバル タイムズ)」という、ちょっとおしゃれなレストランでした。クラブ(カニ)料理のおいしいお店でしたが、無くなってしまって残念です。
ほんとに存在感のある建物です。夕暮れ時に館内から漏れる灯りがきれいに見えるので、夕方の訪問も良いですよ。大正モダンの雰囲気を現代に伝える建物です。末永く保存されることを願います。
京都の電話局ではこちらも有名です。
アクセス
- 京都市バス「河原町丸太町」下車、徒歩1分