宅地造成が進む
京都市内から車で亀岡や園部の丹波地方へ行くときには五条通り(国道9号線)を西に走ります。昔はよく渋滞したので、高辻通りを西進して「上野橋」渡り、山田口で物集街道を超えて山沿いに走り、国道三宮から国道9号線に出るという抜け道をよく走りました。
市内と丹波地方(京都府下)をつなごうとすると、どうしても桂川を渡らないといけません。五条通りの「西大橋」が渋滞しているならば、やはり「上野橋」を目指してしまいますね。
この「上野橋」のすぐ近くにあるのが「龍王明神」です。
「上野」と書きますが「うえの」ではなくて「かみの」と読みます。古代には「神野(かみの)の郷」と呼ばれていたそうです。
桂川の西岸に当たるこの地域は古代においては秦氏の勢力下であり、渡月橋付近から水路が整備され稲作が盛んな地域でした。また松尾の山すそまで竹藪が多く存在していました。川に近い竹藪には蛇が多く生息します。昔の人はこの蛇を「龍王明神」とし、地域の守り神として祀りました。
「龍王明神」です。入り口の戸が開けられているので、お詣りしましょう。
こじんまりとしています。手入れが行き届いていて清々しいです。
大正6年(1917年)3月、上野区住民を発起人として現在の神社が造られました。
「龍王明神」の由来が書かれた石板があったのですが、「積歓堂」と呼ばれていたようですね。
平成24年(2012年)当初からこの土地の所有者である川島吉之助氏とそのご遺族のご好意により、当該土地を含め「龍王神社」は上野地区の氏神である「産土神社」へ寄進されました。
と説明書きにはあります。
さて、なぜ蛇が龍になるのでしょうか。確かに昔の龍の絵を見ると雰囲気はよく似ていますね。龍はもともとインドや中国起源です。日本では龍神や龍王は水を司る水神とされてきました。Wikipediaによると
日本の龍神信仰においては中国伝来の龍と日本の水神・蛇信仰が習合しており、龍王と蛇神とが混交されていることも多い。
とのことです。昔から
龍神信仰=龍+水神・蛇信仰=龍王+蛇神
という構図だったんですね。上野地区も稲作が盛んな場所だったので、水は生命線であったでしょう。また桂川は古代からよく氾濫したあばれ川であったことから水神(龍神)を祀っていたところに、蛇が多いという要素も加わって「龍王明神」信仰が出現したものだと推測されます。
以前は水田が多く、竹藪もたくさん残っていたのですが、上野地区もどんどんと宅地造成が進んで、一戸建ての家や大きなマンションが乱立するようになってきました。水田がなくなると、カエルが減って蛇も減ってしまいます。京都の郊外もどんどんと変化しています。
アクセス
- 京都市バス「上野橋」下車、徒歩2分