吉祥院天満宮 菅公のふるさと

幸福・美・富を顕す神

先日、祇園祭りの元となった「御霊信仰」の話を少し書きましたが、「御霊」の総大将のような人がご存知の菅原道真公です。それはもう、凄まじいパワーの御霊です。当時の人々が恐れおののいたのがわかります。

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菅原道真公と言えば「北野天満宮」や「太宰府天満宮」が有名ですが、菅公ゆかりの神社はたくさんあります。

菅公ゆかりの神社である「吉祥院天満宮」にお詣りしましたので紹介します。

京都市内でも、JR京都駅より南の方は、神社仏閣はもとより史跡や旧跡も数が少なくなります。この洛外に当たる地域は古代においては人口も少なく、田畑や荒れ地の多い場所でした。近年ようやく開発が進むようになって、住宅が増えにぎやかになってきましたが、昭和の終わりごろでもまだまだ田畑が多く残っていました。

「吉祥院天満宮」は京都駅よりは南の方ですが、十条通りのはずれなので、まだ市内寄りの地域です。市バスもそこそこの本数が走っています。

十条通りから「西高瀬川」を渡るとすぐに入り口が見えます。

吉祥院天満宮 No2

橋を渡るとすぐに入り口なのですが、正式な入り口はもう少し西側だったようです。

吉祥院天満宮 No3

見落としそうですが、入り口には菅原道真公の正室である「北政所吉祥女住所蹟」の石票がありました。

吉祥院天満宮 No4

正面に見えていた鳥居のところまで来ました。が…

吉祥院天満宮 No5

左手にも鳥居があって、境外社の「弁財天社」がありました。

吉祥院天満宮 No6

その横に石票があるのですが、内容不明です。

吉祥院天満宮 No7

その横には「鑑の井」という遺跡があります。先ほどの石票は「鑑の井」を説明しているものだと思われます。

吉祥院天満宮 No8

菅公が朝廷に参勤する時に、この井で姿を映して身なりを整えたと伝えられています。

吉祥院天満宮 No9

ちょっと覗いてみましたが、静かな水面を見ていると、心が映し出されるような気がしました。

吉祥院天満宮 No10

そのすぐ近くに何やら四角い石の造詣があります。

吉祥院天満宮 No11

「産湯の井」の後だそうです。ただし社殿に基づいた復元物なので、実際にどんなんだったかは不明です。

吉祥院天満宮 No12

とても狭い気がしますが。

吉祥院天満宮 No13

上の広い部分にもお湯をためていたのでしょうか。

吉祥院天満宮 No14

「菅公御誕生之地」と石票が立っています。

吉祥院天満宮 No15

さて、やっと鳥居まで来ました。

吉祥院天満宮 No16

奥へ進むと、正面が「吉祥院保育園」になっていて、参詣道は左に曲がります。やっと見えてきましたよ。

吉祥院天満宮 No17

境内の広いところに出てきたのですが、まず目に入ったのが「菅公胞衣塚」です。菅公の胞衣(へその緒)を埋めたそうです。

吉祥院天満宮 No18

本殿にたどり着くまでに、まだあります。「吉祥院天女堂(吉祥天女院)」です。

吉祥院天満宮 No19

菅公の祖父である菅原清公(すがわらのきよきみ)は、延暦23年(804年)遣唐使判官として空海や最澄らとともに唐へ渡りました。旅中に洋上で嵐に遭遇したときに、最澄とともに祈念したところ、「吉祥天女」の霊験により難を逃れたそうです。清公は唐より帰国後、さっそく自ら「吉祥天女像」を刻み自邸内に一宇を建立しました。これに「吉祥院」と名前を付け、菅原家の氏寺としたのが「吉祥院天女堂」の始まりです。「吉祥天」は幸福・美・富を顕す神様です。

吉祥院天満宮 No20

昔、「吉祥天女」という漫画がありましたね。

吉祥院天満宮 No21

昌泰4年(901年)道真公は大宰権帥として大宰府に向かう際に、この地より旅立ったと伝えられます。

その時に

君が住む宿の梢をゆくゆくと隠るるまでもかへり見しはや

と詠まれたそうです。

その後、第61代・朱雀天皇は道真公を尊崇し、自ら道真公の幼少像を刻み、この地に社殿を築きました。そして道真公の霊を祀り、「吉祥院天満宮」と呼ばれるようになりました。朱雀天皇より神領、御朱印料、祭料を寄進されて、以後代々天皇の庇護を受け、勅祭を行ったりしています。しかし天正18年(1590年)豊臣秀吉は神領・八講料などを没収してしまい、以後勅祭も廃止となってしまいました。

やっと本殿です。

吉祥院天満宮 No22

手水鉢でお清めします。

吉祥院天満宮 No23

「吉祥院天満宮」の本殿です。

吉祥院天満宮 No24

駒札に解説があります。

吉祥院天満宮 No25

かわいいマスコットがありますね。御霊と言って恐れられたのですが、勉学と受験合格の神様です。

吉祥院天満宮 No26

少し変わった字体ですね。

吉祥院天満宮 No27

なんか、いろいろあります。う~ん。

社務所には「キティちゃんお守り」もありましたよ。

吉祥院天満宮 No28

「硯之水」です。

吉祥院天満宮 No29

「硯之水」は、道真公が幼少の時、勉学や手習いに用い、学問向上、書道上達になったという水です。近年までは清水が豊富に湧き出していて飲み水としても広く利用されていたそうです。

吉祥院天満宮 No30

字の汚い私は、この水の霊験にあやかりたいです。

吉祥院天満宮 No31

「文章院(もんじょういん)聖堂御跡」の石標です。「遣唐使」として唐に渡った菅原清公が、唐の「昭文館」、「崇文館」を参考に、承和元年(834年)頃に文章道を学ぶ学生のための施設として設立しました。「文章院」では「紀伝道(中国の漢詩文や歴史)」の研究発表を行い、孔子を祀っていたことから「孔子堂」、「聖堂」とも呼ばれました。治承元年(1177年)の大火によって焼失し、廃絶となりました。

吉祥院天満宮 No32

もしかしたら、こっちが正式な入り口だったのかもしれません。

受験合格、開運招福、旅行安全、交通安全などのご利益があります。菅公胞衣塚は、子供の知恵授かり、子供の発声初め、健康・成長祈願のご利益があります。また「洛陽天満宮二十五社」、「京都十六社朱印めぐり」、「西大路七福社ご利益めぐり」の神社でもあります。ご利益たっぷりで、境内も見どころが多い「吉祥院天満宮」に参詣されてみてはいかがでしょうか。

アクセス

  • 京都市バス「吉祥院天満宮前」下車、徒歩3分

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