この夏、水不足は大丈夫?
御所の西にある「福長神社」を訪れました。
「福長」とあるので「福(ええこと)」が「長(長く続く)」ので、縁起がいいわ、と思ってたのですが、ちょっと違ったようです。
「福長稲荷神社」と呼ぶ方が、本来の神社の変遷を表しているようです。創建や詳しい変遷は不明なのですが、「福井神」と「綱長井神」を合祀したのちに「稲荷神」も合祀したので、「福長稲荷神社」と呼ばれます。
「福井神」は「ふくいのかみ」ではなくて「さくゐのかみ」であり、「綱長井神」は「つながゐのかみ」です。
平安時代、宮中の「神祇官西院坐御巫等祭神」中、「座摩巫祭神(いかすりのみかんなぎ)五座 並大 月次新嘗」とされた「生井神(いくゐのかみ)」「福井神」「綱長井神」「波比祇神(はひきのかみ)」「阿須波神(あすはのかみ)」の5神のうちの「福井神」と「綱長井神」が祀られる後継社だそうです。
私には少し難しすぎます。
室町時代には、この地は「福長町」と記載されており、もうすでに「福長神社」はここにあったようです。天正2年(1574年)「織田信長」が「上杉謙信」に贈ったとされる「狩野永徳」筆の「洛中洛外図屏風」にも、「福長神社」が現在地に描かれています。
安土・桃山時代には、豊臣秀吉公の築城した「聚楽第」の敷地内に取り込まれ、城鎮守神・井戸の神として祀られていたという記録もあります。そして聚楽第が廃城になったときに、現在地に遷移したそうです。
その後、天明8年(1788年)に起こった「天明の大火」で焼失してしまい、再建はされたのですが、小さな祠となってしまいました。
現代でもこの地域は「福長町」と言い、「福長神社」は井戸や泉の神様として篤く信仰されています。
「室町通り」を今出川から下がっていくと、道の東側に「福長神社」があります。
住宅に囲まれてこじんまりとしています。石垣は立派ですよ。
きれいな幟が立てられています。
立派な木の鳥居です。
駒札が建てられています。
手水舎です。井戸の神様なのですが、井戸水ではないようですね。残念。
拝殿です。
拝殿の奥の、こちらが本殿です。
金網があるのでピントがうまく合いません。
神社の横のお地蔵さんです。京都ですね。あちこちにお地蔵さんがあります。
「福長神社」は、こじんまりとした神社で祠も小さいのですが、平安時代から続く神社です。水の神様なので、水不足で困らないようにお詣りしようと思います。
アクセス
- 京都市バス「烏丸今出川」下車、徒歩5分