日猶同祖論
今日は京都市右京区太秦にある古くからの井戸、「いさら井」を紹介するのですが、そのまえに。
見出しの字、読めませんよね。「にちゆどうそろん」と読みます。「猶(ゆ)」は「ユダヤ人」を表します。
つまり、日本人(大和民族)とユダヤ人(古代イスラエル人のうちのユダ族、ベニヤミン族、レビ族)は共通の先祖「ヤコブ」を持つ兄弟民族であるという説。
なんのこっちゃ? ですね。 話が飛びすぎて、ちんぷんかんぷんです。
私が、初めてこれを聞いた時には「ノストラダムスの大予言」を思い出しましたよ。(全然関係ないけど…)なんか昭和時代のTV番組にあった、オカルトものみたいな雰囲気ですね。
と、こんな言い方をすると、まじめに信じている方々に対して、とっても失礼ですね。申し訳ありませんでした。でも、私の足りない頭では到底理解できない次元の起源説なんですよ。
で、この「日猶同祖論」によれば、今日紹介する「いさら井」の「いさら」は「イスラエル」がなまったものとなるそうです。
ほえ~~~っと叫びたくなるぐらい、わけのわからない話なので、とりあえず現地の写真を見ながら、謎解きしていきましょう。
「いさら井」の見学に行くのに、私はJR嵯峨野線「太秦駅」から向かいました。「太秦駅」の東側の踏切を南に向かい嵐電北野線の踏切を超えて、二筋目を東に向かいます。
そうすると、上の画像のように道案内の書かれた看板がたくさん出てきます。
この道の北側は「東映太秦映画村」なんですね。もしかして「映画村」もイスラエル? ご心配なく。そんなことは絶対にありえません。「映画村」楽しいところなので一度訪れてみてください。
もう少し「映画村」に沿って東に歩いていくと、南に向かう砂利道が出現します。ここですわ。砂利道を南に向かいましょう。
上の画像の奥の方からこちらに向かって歩いてきました。ちょっと行き過ぎたところから撮ってます。これがイスラエルの井戸、「いさら井」です。
この「日ユ同祖論」を最初に唱えたのは、明治期に来日したスコットランド人の「ニコラス・マクラウド(ノーマン・マクラウド)」という人です。マクラウドは日本と古代ユダヤとの相似性に気付きいて調査を進め、世界で最初に「日ユ同祖論」を提唱し、体系化しました。彼は著書「日本古代史の縮図」のなかで「ユダヤ教」と「神道」の宗教儀式の広範な比較をして、日本の聖職者階級がイスラエルの失われた10支族の子孫であると主張しました。彼は失われた10支族の内の主要な部族は、青森戸来村、沖縄奄美、朝鮮半島らを経由して日本の「鞍馬寺」へ渡ったと結論付けています。
なんかねぇ。「鞍馬寺」ですか。これは「鞍馬寺」にも行かないとダメですね。そのうち「ユダヤ教」の痕跡を探しに行きましょう。
「いさら井」の前の道が砂利道なので、なんか風情がありますね。いまでも住宅の前にあり、昔は生活の中に溶け込んでいたのでしょう。昔、「いさら井」は秦氏が建立したという「太秦広隆寺」の境内に含まれていたそうです。「日ユ同祖論」では、「秦氏」は「景教(キリスト教のネストリウス派)徒」のユダヤ人であるとされています。
さて「いさら」が「イスラエル」のなまったものであるというので、ヘブライ語とヤマト言葉を比較すると、ヘブライ語と類似した単語がゆうに3000語を超えて存在しているそうです。
ヤマト言葉 | ヘブライ語 | 意味 |
---|---|---|
アナタ | ANT | 貴方 |
オイ | AWI | 泣く |
オニ | YNI | 私を苦しめるもの |
グル | GWR | 団結する |
グル | GWL | 回る |
コラ | KRA | 自制せよ |
ダマレ | DM・ALI | 沈黙を守れ・私に(対して) |
ヒリ | HIL | 痛みを感じる |
ヨイショ | IH・ISY | ヤハウェは・助ける |
Wikipediaより
などなど、どこから来ているかわからないような単語もヘブライ語に語源を求めることができます。
「いさら井」は、現在使われていないようですね。竹を編んで蓋がされています。
京都に関してはこんなことも言われています。
平安京に遷都した桓武天皇は、古代ヘブライの燔祭(はんさい)の儀式を行なっていた。平安京のマークは、あのダビデの紋章と言われ、現在の京都市の市章は、その平安京のマークを図案化したものだと指摘されている。平安京をヘブライ語になおすと「エル・シャローム」、すなわち、ヘブライの聖地「エル・サレム」である。名称の類似だけでなく、聖地エルサレムの「城塞」は12の門を持つなど、構造が平安京と、よく似ていることが指摘されている。
平安京は、ヘブライ語でエル・シャローム(平安の都)となり、古代イスラエルの都エルサレムと同じである。平安京は、天皇の住まう都だが、エルサレムも別名で、「ダビデの町」と呼ばれていた。
Wikipediaより
う~ん、そうだったんですか!となってしまいそうですけど、ほんまですかいな?
その他にも
・皇室神道とユダヤ教には類似点が多い
・神社神道とユダヤ教にも類似点が多い
・カタカナとヘブライ文字には類似点が多い
などなど、宗教的な類似点はとてもたくさんあります。興味ある人はWikipediaの「日ユ同祖論」を調べてみてください。
「いさら井」と刻まれています。昔は「伊佐羅井」とか「伊佐良井」と記述されていました。「いさら井」のどこかに、「日ユ同祖論」を裏付けるような証拠がないでしょうか…
「釣瓶(つるべ)」が残ってますね。
何の変哲もない井戸ですよね。くまなく探しましたが、残念ながらイスラエルを思わせるような証拠はありませんけど…(私ごときが見つけられるようでしたら、とっくの昔に大事件になってますわな。)
さて、今度は「日ユ同祖論」から離れて、純日本的に「いさら井」を考えてみましょう。
「いさら」という言葉は、昔から「水に関係あることを表す名詞に付いて、小さい、細い、少ない、という意を表す。」そうですので、「小さい井戸」、「湧き水の少ない井戸」と解釈できるでしょう。
「いさら井」の出てくる歌に
いさらいのふかくの事はしらねども清水ぞ宿の主なりける
というのがあるのですが、この歌が「和泉式部」の歌のように言われていますが、実は作者不詳の歌を「いさら井」の格式を上げるために「和泉式部作」としたようです。なので和歌集などには載っていません。
竹の間から中を見ましたが、何にも見えません。でも確かに深そうな感じがします…
現代の遺伝子解析では、日本人とユダヤ人の間には、ほぼ関係性がないとのことなので、日本人の祖先はユダヤ人だなどという荒唐無稽なことは言えませんが、古代ユダヤの文化が、形を変えながらも、日本にまで伝えられたと考えることロマンがあっていいですね。
そんなこんなを考えながら、「いさら井」を訪れてみてください。
アクセス
- 京都市バス「太秦開町」下車、徒歩1分
- 京福電気鉄道北野線「撮影所前」下車、徒歩2分