徹夜で寿命を延ばす?
今回も嵐電沿線の神社です。「天神川通り」にある「猿田彦橋」の東に鎮座する「猿田彦神社」です。
その名の通り「猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)」を祀る神社です。もともとはもう少し北の地域(安井村)にあったようで、山伏修験者の行場があり、愛宕山詣りをする人々がここで滝に打たれて身を清めてから参詣したそうです。明治18年(1885年)に現在の場所に遷移しています。
ご由緒書きによると、平安時代に伝教大師「最澄」が座禅を組むための霊窟を探していたところ「猿田彦神」が現れて、安井村の地を示したところから、「最澄」は座禅石の傍らに「猿田彦神」を祀り、このことが「猿田彦神社」の創祀になりました。後世、鎌倉時代に「後嵯峨天皇」が行幸の際にも「猿田彦神」が道案内をしたため、「後嵯峨天皇」は社殿を建立したと伝わります。
また「庚申(こうしん)信仰発祥の地」と言われ、「京洛三庚申」の一社になっています。「庚申信仰」は奈良時代に日本に伝わった「道教」の思想で、暦(十干十二支)の「庚申」の日の夜、人が眠りに就くと体内に住む「三尸(さんし)」と呼ばれる三匹の「虫」が身体から抜け出し、その人の悪行を「司命道人」に報告し寿命を縮めるという考えです。大きな悪事を働くと300日、小さいものでも3日寿命を縮めるとされています。ただし、その人が徹夜して起きていれば、「三尸」が報告に行くことが出来ないので、「庚申」の日の夜は身を慎んで徹夜をする「守庚申(しゅごうしん)」という信仰が生まれました。
「庚申信仰」は最初、貴族の間で盛んになるのですが、時代とともに地域に広がって行き仏教、修験道、神道など、さまざまな信仰や習慣が入り混じって、特異な地域信仰として庶民の間に広まっていきます。特に江戸時代には広く庶民の間でも信仰されるようになり、その広がりとともに元々の意味が失われていきます。そして「庚申」の日には村落全体で酒盛りをして一夜を明かすという寄り合い組織「庚申講(こうしんこう)」が全国に作られるようになります。「猿田彦神社」でも「庚申講」の時には、村人が集まって「猿田彦大神」や「青面金剛」の軸を掛け、七種の供物を捧げ夜を明かして「萬福招来」を祈願したそうです。現在も60日に1回やってくる「庚申」の日に祭事を行っており、その日には参詣の人出境内がにぎやかになるそうです。
「猿田彦神社」には「中風・神経痛・腰痛」などの病気封じのご利益があります。また変わったお守りとして、玄関、勝手口、金庫などにつるす「盗難除け左なわ」や、手芸上達を願う「招福布猿」が授与されます。
「猿田彦橋」から東を見ると、「三条通り」の南側に大きな木が見えます。
「猿田彦神社」です。
東が入口です。
入口に名立派な石碑が立っています。
境内一望です。普段は社務所もお留守だそうです。
手水舎です。
拝殿です。
拝殿の真ん中には「猿田彦大神」です。
こちらが本殿です。
本殿前にも立派な石碑が立ってますね。
本殿正面です。境内のいたるところに神猿の像やモチーフがあります。
本殿の中にもお猿さんの像が祀られています。
こちらはあまりしっかりと見てきませんでしたが「忠魂碑」でしょうか。
末社があります。
一つは「稲荷神社」が祀られています。
もう一つは「秋葉大明神」が祀られています。
こちらは「大国主神社」です。
中には金色の「大国主命」?
お不動さんやお地蔵さんも祀られています。
「見ざる・聞か猿・言わ猿」の「三神猿」の絵馬です。
樹齢700年といわれる「庚申楠」です。
さすがにでっかいです。
若いころは仕事で徹夜があったのですが、若いだけあってぜんぜん堪えませんでした。でも今は徹夜なんて絶対無理ですね。そこにお酒なんかが入ってしまうと一瞬で寝てしまう自信があります。私の「三尸」はこれしめたものと「司命道人」に「こいつは悪い奴でっせ~。」と報告に行っていることでしょう。
アクセス
- 京都市バス「猿田彦橋」下車、徒歩1分