「儲かりまっか?」 「ぼちぼちですわ。」
世の中の経済を見てみると、株価は上昇し続けており、企業の業績も良いようですね。全体的には日本社会の「景気」は良いのでしょうね。う~ん、我々庶民としては、あまり実感が無いのですが、会社や企業は儲かっているようです。就職戦線も売り手市場のようで、仕事はあるのに人員不足で倒産していく会社もあるようです。
私は自営業ではないし、私の職場も販売などではないのですが、より一層の景気上昇をもくろんで商売繁昌の神社にお詣りに行きましょう。
その名も「繁昌神社」という是非ともご利益にあずかりたい神社です。
と、その前に。
「繁盛」それとも「繁昌」? どちらを使いますか?
どちらでも意味は同じなのですが、もともとは「繁昌」という字でした。戦後、漢字の都合で「繁盛」を使うようになったとのことです。
今回訪れるのは、元々の「繁昌」を使った「繁昌神社」です。場所は京都市下京区の「高辻通り」で「烏丸通り」から少し西に入った北側です。この辺りの町名も「繁昌町」という、何とも儲かりそうな名前で好感が持てます。
「繁昌神社」について調べてみると、「清和天皇」の時代、「藤原繁成」の邸宅の庭に「功徳池(くどくいけ)」という池があり、安芸国の宮島から「市杵嶋姫命」、「田心姫命」、「湍津姫命」の「宗像三女神」を「功徳池」の中島に勧請したのが始まりだということです。
京都の市街を勝手に改悪した「豊臣秀吉」が「繁昌神社」の社殿も東山五条の「佐女牛八番宮社(現:若宮八幡宮社)」近くに移そうとしたのですが、祟りがあったので現在地に戻されたと記録に残っています。
江戸時代には真言宗の寺院である「神宮寺」によって管理され、「功徳院」と呼ばれていましたが、元治元年(1864年)の「禁門の変(蛤御門の変)」で起こった大火「どんどん焼け」では、繁昌神社の社殿も残念ながら焼失してしまいました。
「神仏分離」の際には「市杵嶋姫命」をご祭神とする「班女神社(はんにょじんじゃ)」となったのですが、いつしか訛って「繁昌神社」と呼ばれるようになったそうです。「班女」とは弁財天の別名「針才女(はりさいじょ)」からきているそうです。
ではでは、行ってみましょう。
私は「堀川通り」から、「高辻通り」を東に向かって歩きました。
京都市の真ん中も、よく見ると上がったり下がったりとけっこうな傾斜があるんですよ。
もうじき「烏丸通り」というところで「繁昌神社」が見えてきます。
この、家と一体化しているような、何とも言えない庶民感、好感が持てます。あんまり格式高い神社さんは、「商売繁昌!」と祈願するのはちょっと気が引けてしまいますね。「そんな世俗の垢にまみれた金の亡者の願い事なんて聞き入れてやる余地もないわ。」と返されそうですが、こういう庶民的な神様は「しゃあないなぁ、あんじょうきばるんやで。」となんとなく聞き入れてもらえそうな気がします。
この「繁昌神社」、住所で言うと「高辻通室町西入繁昌町」という商売人ならば住んでみたい住所です。そしてこの「繁昌神社」と関係の深い「班女塚」も近くにあります。「班女塚」はまた次回紹介します。
入り口にある「繁昌宮」の神額です。
こじんまりとしていますね。
手水鉢があります。
正面にお社です。
「繁昌神社」の神額です。
「商売繁昌」のご利益だけではなく、家内安全、諸芸成就、良縁成就のご利益も授かれます。
ありがたく、ねんごろにお詣りしましょう。
通り沿いに駒札があります。
京都では、こういう街中の一軒家と同じ広さの敷地に神社が鎮座しているという光景が当たり前に見られます。お隣さんが神社、というのもなんか不思議な感覚ですね。
京都では商売繁昌と言えば「お稲荷さん(伏見稲荷神社)」や「えべっさん(京都ゑびす神社)」が有名ですが、「繁昌神社」をはじめたくさんの「繁昌」や「金運」にまつわる神社があります。どこも年始は混みますので、今のうちにお詣りしてみてはいかがでしょうか。
さて次は、案内が書かれていた「班女塚」にも行きましょう。
アクセス
- 京都市バス「烏丸松原」下車、徒歩3分