山の中の相輪
昨年の秋に訪れた「八瀬(やせ)」ですが、以前に紹介した「八瀬ラジオ塔」、「高野水力発電所」以外にもう一つ、ちょっと変わったものがあります。
なんで、こんな山の中に、こんなものがあるの?
と驚く「平安遷都紀念橖」という塔(モニュメント?)です。正式には「平安遷都千百年紀念橖」と言います。
この「平安遷都紀念橖」は、明治28年(1895年)に行われた「平安遷都千百年紀念祭」の成功を記念し,同祭協賛会幹事だった「西村捨三(元:大阪府知事)」、「内貴甚三郎(初代京都市長)」、「竹村藤兵衛(元:衆議院議員)」が建立したものです。
もともとは「平安遷都千百年紀念祭」の行われていた岡崎の「平安神宮」の境内北側で、「御辰稲荷」の西隣に建っていたのですが、「丸太町通り」の拡幅工事と市電の軌道敷設のため昭和4年(1929年)に現在の八瀬に移設されました。
さて、この「平安遷都紀念橖」が建てられる元となった「平安遷都千百年紀念祭」ですが、これは「桓武天皇」が平安遷都を行い、大極殿ではじめて正月の拝賀を受けた延暦15年(796年)から1100年目に当たる明治28年(1895年)に、「桓武天皇」を顕彰する祭典を行おうという発案で始まりました。
実際は、「第四回内国勧業博覧会」の誘致に向け、京都の財界が国の協力を得ようとして画策したイベントです。明治25年5月頃から,「京都実業協会」が立案し、国に働きかけたところ、「有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)」〔のち小松宮彰仁親王(こまつのみやあきひとしんのう)と交替〕を総裁にむかえ,会長に「近衛篤麿」,副会長に「佐野常民」が就任し,「平安遷都千百年紀念祭協賛会」が設立されました。こうして国務大臣も関与する国家的な行事となりました。
「平安遷都千百年紀念祭」では「平安宮朝堂院正殿」の「大極殿(だいごくでん)」を模倣した神殿などが岡崎に造営され,桓武天皇を奉祀する「平安神宮」が明治28年(1895年)3月に完成します。そして「第四回内国勧業博覧会」は盛大に開催され、工業館,農林館,器械館,水産館,美術館,動物館が建てられ、各府県の売店,飲食店などが開かれました。出品点数16万9000点,入場者は4月1日から4か月の会期中113万人をこえる盛況となり、大成功に終わります。開催にあわせて,京都電気鉄道会社が開業し,日本最初の市街電車(市電)が走りました。博覧会開催は京都の経済・文化の復興と再生に大きな役割を果たしたのです。明治の京都はすごいパワーを持っていたわけです。
そして、博覧会後の10月22日(桓武天皇が入京した日)から3日間「平安遷都千百年紀念祭」が挙行され、25日に余興として行われた「時代行列」が翌年からは「平安神宮」の「時代祭り」となり現在に続いています。
では、「平安遷都紀念橖」がある「八瀬」に行きます。
何回も使いまわしている写真ですけど、「八瀬もみじの小径」の入り口です。紅葉の終盤です。
順路に沿ってどんどん歩いていきます。そろそろ一番奥のところかなと思うと…
いきなり、ど~んと目の前に現れるのが「平安遷都紀念橖」です。
説明書きがあります。
この塔には上の画像にあるように碑文が書かれています。写真撮ってきたらよかったですね。失敗…
明治乙未実為平安遷都一千百年京都市行紀念祭大挙其式於是協賛会幹事西村
捨三内貴甚三郎竹村藤兵衞諸氏同志相謀建立此橖以為其紀念標大勲位功二級
彰仁親王聞而嘉之賜以題字其模叡嶽相輪橖者蓋所以顕彰
桓武天皇之宏謨闡明伝教大師之懿績永祈此京之隆昌也因請余記其事以勒之
明治三十四年十一月十五日前天台座主妙法院門跡大僧正寂順撰 二尊院現董権僧正寂忍書
と刻まれています。
何が書かれているのかというと、
明治28年(1905年)は平安京の遷都からちょうど千百年にあたります。京都市は記念祭を行い大規模な式典を実施しました。今ここに、その時の紀念祭協賛会幹事であった西村捨三、内貴甚三郎、竹村藤兵衛らが協力して,この塔を建立し記念とすることにしました。小松宮彰仁親王はこのことを聞いて喜ばれ,表面に刻む題字の原稿を賜りました。この塔のいただきは比叡山延暦寺の塔の相輪を模しています。これは比叡山の麓に桓武天皇の平安京を造るという偉大な計画を顕彰し,伝教大師最澄の功績を明らかにし,あわせて京都の繁栄を祈るためです。(筆者)村田寂順は求めに応じて、この塔の建立経緯を記してここに刻みます。
と、書かれているそうです。漢字だけで表すと難しいですね。
でも、明治28年に建てられた塔にしてはきれいだと思いませんか?相輪のてっぺんの擬宝珠(これも擬宝珠っていうんですかね?)も金ぴかでキラキラ輝いています。
実は平成27年(2015年)が「叡山電鉄 叡山本線」、「京福電鉄叡山ケーブル」が開業90年ということで、「京福電気鉄道株式会社」が復元修理をしたのです。塔をすべて解体して欠損部分などを復元修理しています。
帯刀した武士が切り合いをしていた江戸時代から、わずか30年程の明治時代に、琵琶湖疎水を作り、市電を走らせ、近代化を進めた京都民のパワーはすごいです。都が東京になってしまい、それに対する反発の力もあったのでしょうが、1100年もの間、日本の中心であった京都の底力を感じます。
アクセス
- 叡山電車「八瀬比叡山口」下車、徒歩10分