守谷神社・冨士神社 二ノ瀬の小さなお社

惟喬親王の隠棲地

今回は、京都市左京区にある「守谷神社」と「冨士神社」を訪れます。

場所は、住所で言うと京都市左京区の鞍馬なのですが、貴船神社の手前の方になります。叡電鞍馬線の「二ノ瀬」駅の近くです。「二ノ瀬」駅の次が「貴船口」でその次が終点「鞍馬」です。「二ノ瀬」は単線区間になってます。

さて、当然、叡電で行くのですが、「出町柳」から乗ると、行き先が3種類あります。一つは「八瀬比叡山口」まで行く「叡山本線」で、もう一つが「鞍馬線」なのですが、「鞍馬線」には「市原行」と「鞍馬行」があるので注意が必要です。ま、「市原行」でも「市原」で「鞍馬行」が来るまで待ってたらいいんですけどね。

かくいう私も、「出町柳」で乗ったのが「市原行」で、出発直前に飛び降りました。あぶねー、あぶねー。「市原」で待ってもいいんですけど、真冬の早朝なので、私には「市原」で待つのは寒くて無理でしょう。一応、防寒のためにいっぱい着込んで、ハクキンカイロも持ってきてますよ。

ということで、「鞍馬行」に乗って、「二ノ瀬」に向かいます。

守谷神社・冨士神社 No2

「二ノ瀬」の駅です。 「さむっ!」 雪があるとは...

守谷神社・冨士神社 No3

「二ノ瀬」の集落です。まだ京都市内に近いので近代的な住宅が多いですね。

守谷神社・冨士神社 No4

駅からポチポチ歩いて、線路の東側にある道を探します。「鞍馬川」を渡ります。

守谷神社・冨士神社 No5

日は登っているのですが、山間部なのでまだ日陰になってます。

守谷神社・冨士神社 No6

お、道に出ました。右に行くと京都市内、左に行くと「貴船神社」から「芹生(せりょう)」へと続く道です。

守谷神社・冨士神社 No7

このバス停は、京都バスの「二ノ瀬」バス停です。

守谷神社・冨士神社 No8

「貴船神社」の方に向かって北上します。けっこう狭い道でしょ。

守谷神社・冨士神社 No9

と、すぐに「守谷神社」への入り口です。京都一周トレイルの道標が目印です。左(西方向)に折れます。京都一周トレイルの道筋に沿って歩いていくと「守谷神社」にでます。

守谷神社・冨士神社 No10

さっきの「鞍馬川」をまた渡ります。「二ノ瀬」の駅から、すぐに北方向に行ってもよかったんですね。

守谷神社・冨士神社 No11

山手の方に細い道を上がっていきます。集落の中を通り抜けるのですが「この先車は行止り」となってますね。すれ違いに苦労するような狭さですよ。

守谷神社・冨士神社 No12

ここでも京都一周トレイルの道標に沿って進みます。

守谷神社・冨士神社 No13

と、踏切が見えてきました。もちろんさっき降車した叡電の踏切ですよ。

守谷神社・冨士神社 No14

踏切の向こうに玉垣が見えますね。「守谷神社」です。

守谷神社・冨士神社 No15

京都一周トレイルと東海自然歩道を兼ねています。

守谷神社・冨士神社 No16

やってきました「守谷神社」。どうも工事中のようですね。

守谷神社・冨士神社 No17

「守谷神社」と「冨士神社」が並んで鎮座しているようです。

守谷神社・冨士神社 No18

工事かと思えば倒木ですね。先の台風の影響でしょうか、立派なご神木が倒れています。このまっすぐの幹、丁寧に手入れがされていたのでしょう。とっても残念です。

守谷神社・冨士神社 No19

手水鉢があります。井戸水などではないようですが、飲料にできるのでしょうか。トレイルコースを歩く人がたくさんいるでしょうから、飲めるとありがたいんですけどね。

守谷神社・冨士神社 No20

奥の方が本社のようです。

守谷神社・冨士神社 No21

おお、拝殿と本殿の間にも倒木がありました。よっぽどきつい風が吹いたんでしょうね。

守谷神社・冨士神社 No22

拝殿です。風雨が入らぬよう気の壁がしつらえてあります。

守谷神社・冨士神社 No23

本殿に来ました。

守谷神社・冨士神社 No24

こちらが「守谷神社」です。「惟喬親王(これたかしんのう)」をお祀りしています。「惟喬親王」は第55代「文徳天皇」の第一皇子です。

「守谷神社」の創建や変遷の詳細は不明ですが、元慶元年(877年)の創祀とも貞観14年(872年)創建とも伝わります。

もともと村人たちは「惟喬親王社」と称していたのですが、天文13年(1545年)に社名を「森谷神社」と改めました。そして鞍馬川東側の山腹に鎮座していましたが、同年、洪水で社殿が流されてしまい、宝永2年(1705年)に母「紀静子」を祀る「冨士神社」の隣にの遷移しました。

なぜ「惟喬親王」が「二ノ瀬」に祀られているかと言うと、平安時代の貞観4年(862年)、「惟喬親王」は藤原氏との政争により立太子されず、洛北の山間部に隠遁されました。そして「二ノ瀬」に仮居し、里の人々に「挽物(ひきもの)」、「木地挽物」を伝えたとされ祖神として祀られるようになりました。「挽物」とは、木材を轆轤(ろくろ)や旋盤でひき,椀,鉢,盆など円形の器物をつくる技術です。でも現在の「二ノ瀬」では「挽物」は聞かないですね。

その後も各地を転々とし、小野、水無瀬、小野郷、雲ケ畑、大森、東近江を流浪し様々な伝説を残しています。東近江などでは「惟喬親王」が「木地師」の発祥であるという「伝説」はしっかりと残っているようです。

守谷神社・冨士神社 No25

こちらが西隣に鎮座する「冨士神社」です。「惟喬親王」の母「紀静子(きのしずこ)」をお祀りしています。「紀静子《三条町(さんじょうのまち)》」は第55代「文徳天皇」の東宮時代に入侍し、第1皇子「惟喬親王」、第2皇子「惟条親王」、斎宮「恬子内親王」、斎院「述子内親王」、「珍子内親王」を産んでいます。

守谷神社・冨士神社 No26

では、「惟喬親王」の聖母である「紀静子」が、ここに祀られるようになったのでしょうか。色々調べましたが、よくわかりませんでした。守谷神社・冨士神社 No27

当たりが明るくなってきました。本当の日の出が近いです。

残雪があって寒いのですが、凛とした空気が感じられます。では、大した雪でもないので、私はここから京都一周トレイルを少し歩いてみましょう。

アクセス

  • 叡山電車「二ノ瀬」下車、徒歩10分

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