ステーショナリー
みはさん、どんな筆記具で字を書かれていますでしょうか?
私は仕事柄、紙にボールペンで字を書かなければいけないので、普段使いはボールペンやインクタンク交換式の、使い捨てのボールペンよりはちょっと高いペンを使ったりしています。
使い捨てというとボールペンに失礼ですが、使い捨てのボールペンでも、本体は捨てずに芯(リフィル)を交換しています。最近は書く量が減ってきているので、一番安い透明軸のボールペンでしたら大体2~3週間で1本のリフィルを使うぐらいの量です。
で、書かれた文章は当然、他人様の目に触れるので、できるだけ読みやすい字を心掛けているのですが、これがまたなかなか難しい。Webの動画で「美文字(?)」なんかの動画を見たりして練習したこともありますが、なかなか整った読みやすい字を書き続けることは至難の業です。
今思い起こしてみれば、幼稚園や小学校で始める「書字」で良い点をもらった記憶はありません。当然「習字」や「書道」の授業になっても変化はなく、きれいな字は書けないものと思っています。なので、昔のお経や書家の作品を見ると、なんでプリンターみたいにおんなじ字が書けるのか不思議でなりません。
特に筆で行う記帳は勘弁してほしいですね。最近、結婚式に招かれる機会は減りましたが、あの受付の重圧はとっても心が沈みます。
ほんでもって、私のような「できない人間」は、「なんでできないか?」を他の何かのせいにするのが常道で、「道具が良ければかけるに違いない。」といろいろ試してみましたよ。当然、うまく書けるわけがなく、ただ日本の経済活動の足しになったぐらいで、手に入れた道具も机の片隅で安眠をむさぼっていたりします。
ま、そんなことはどうでもいいのですが、今回は書家の碑を紹介します。
書家は「松下烏石(うせき)」で、石碑は下京区の塩小路通りの堀川を西に入ったところにあります。「松下烏石」は江戸時代中期の書家で西本願寺の賓客になっています。
塩小路堀川を西に歩くと、右手は元「安寧小学校」です。表を通らなかったので今はどのように利用されているのかわかりません。
堀川から1本目の通りを北に向かいます。
見えてきました。分かりにくいですか。保護色を使っているように、木と同化しています。
ほれ、この通り。
案内書きと「文房四神之碑」です。
「文房四神之碑」は前の木の枝で字が読めません。ま、仕方ないか...
案内書きを見てみます。
文房四神之碑
江戸時代の書家、松下烏石(うせきかつしん)の書と伝えられる。葛辰は「芹根水」の書家でもあり、この附近の下魚棚通り西堀川角に居住していたという記録が残されている。
文房四神の碑は、南方・朱雀を筆、東方・青龍は硯、西方・白虎を紙、北方・玄武は墨となり、これは筆硯紙墨(ひっけんしぼく)を四神になぞらえて崇敬したものである。
この碑は、道祖神社の「書聖天満宮」に建てられていたが、神社の改築に伴い、平成六年七月にここに移設された。
もう少し北の方に歩きましょう。
古い家を発見。「仁丹」があるのが分かりますか。
なんと、二階の壁に貼り付けてあります。
「木津屋橋通堀川西入 川端町」と書かれています。風格がありますねぇ。
朱雀である筆と玄武である墨はいろいろ試しましたが、青龍である硯や、白虎である紙は試していませんね。まだ字がきれいになる可能性はありそうです。
アクセス
- 京都市バス「下京区総合庁舎前」下車徒歩5分