観光地のはずれ
昨日に続き、ここも委細不明なお堂と神社です。
場所は嵯峨嵐山なんですけど、人がいっぱいの渡月橋からは少し離れています。渡月橋の北側に続く「長辻通り」ですが、この通りをどんどん北に上がっていくと、JR嵯峨野線の踏切に出くわします。そんでも、もっともっと北に上がると、「丸太町通り」と交差します。この交差点はきれいな十字ではなく5本の道路が一点で会しているようなかたちです。その5本の中で一番細い西南西に行く道の脇にあるのが「開門毘沙門天」と「吉崎稲荷大明神」です。
ちなみに、この交差点は実質上の丸太町通りの西の端で、ここから西に行くと、道は一挙に狭くなってしまいます。まぁ、狭くなっても「小倉池」までは続いているんですけどね。ほんでもって、北に行く長辻通りは「嵯峨釈迦堂(清凉寺)」にぶつかって、道が曲がってしまいます。
そんなことはどうでもいいですね。本題の「開運毘沙門天」です。
交差点の南西角にあります。石の玉垣が張り巡らされています。
朝一番、6時半すぎですよ。さすがに誰もいません。こんな朝早くから神社めぐりとは、何やってんだよオレ。
「開運毘沙門天」の石票。
裏側には「大正十四年六月建之 毘沙門町有志者」と刻まれています。大正時代に栄えたお堂のようですね。
お堂の前まで来ました。「毘沙門天」は「多聞天」とおなじで「仏教守護」の神様です。四天王ですね。毘沙門信仰は平安時代の「鞍馬寺」で始まり、中世には福の神として崇められ、室町時代には「七福神」となり、江戸時代以降は勝負事の神様として信仰されてきました。
右隣はお地蔵さんでしょうか。
反対側の左手には井戸?と手水鉢がありますが、鉄の格子でふさがれています。あれまぁ。
お堂にかかる「毘沙門天」の扁額です。
お堂の中を少し拝見。
ガラス越しなので、カメラ移りが悪いですが、ご了承ください。
良く見えないのですが「毘沙門天像」なのでしょうか。
玉垣に刻まれている社名などには大正時代の映画会社と思われる社名が複数ありました。当時の俳優さんたちが開運出世を祈願しに訪れたのでしょう。
吉崎稲荷大明神
同じ境内にある「吉崎稲荷大明神」です。ここも、ご由緒書きや駒札がなく、創祀や変遷、ご祭神など不明です。
境内の南の端に鎮座しています。
神額が読めなくなっていますよ。
一番奥には小さな祠があります。
鳥居には「町内有志一同」と書かれていますね。地元に密着した神社なのでしょう。
扁額や鳥居はだいぶんと傷んでいますが、祠の周りはとてもきれいに手が行き届いています。
この近所では「野宮神社」や「竹林の小径」に人が大挙して押し寄せていますが、ちょっと離れると静かに時を刻んでいる神社仏閣はたくさんあります。人の多さに辟易したら、ちょっと寄ってお参りしてみてください。
アクセス
- 京都市バス「嵯峨小学校前」下車、徒歩2分