まずは、ここですよ!
今日は以前紹介した「石上布留社(いそのかみふるしゃ:石上神社)」のお隣? にある「波切不動明王」です。お隣というか、同じ境内というか、どちらかというと「波切不動明王」の方が主かもしれません。
場所は有名な「東寺」の北側に当たります。大宮通りにある「東寺東門」から少し北に行って、大宮通りが高架になる辺りを西に入ったところです。
「波切不動明王」の入り口は南の端、「石上神社」の入り口は北の端といった感じでしょうか。南の入り口から入ります。
入り口には「弘法大使」と大きく刻まれた石碑があります。石の欠け具合などが歴史を感じさせますね。
「波切會」と刻まれています。
駒札ではないですが、京都市の説明書きが掲げられています。
弘法大師の地盤(おじば) 真言宗政所(まんどころ) 東寺執行家(しぎょうけ)
東寺執行家は弘仁十四年から明治四年まで、壱千四拾八年の間、真言宗の政所であった。そして、この政所の宰主は、阿刀家であって、歴代世襲職(おやゆずり)であった。
阿刀家は、弘法大師の生母(はは)の里方(さとかた)である。阿刀家世襲のこの政所は、弘法大師の父の実弟で、阿刀家の女婿(むこ)となった阿刀大足(おおたり)の時、はじめられたものである。
境内にある石上布留社(いそのかみふるしゃ)は、阿刀家の祭壇である。相殿は阿刀大神である。小祠には、三輪、伊勢、賀茂、岩清水、二天夜刃(やしゃじん)、役氏小角(ぎょうじゃ)、稲荷、弄鈴(なるこ)、王仁(わに)、空海大神がある。
又境内にあるナミキリ不動明王は、弘法大師のお地盤の明王と云はれ、四国路、東寺、高野山などの霊地に参りても、ここ弘法大師のお地盤の明王に参らざれば、御りやくが、頂けないのだと云って、有名である。
所蔵品には阿刀家宝蔵、鐵塔経蔵、針小路文庫がある。何れも学界に知られている。尚、ここには、明治維新以来、大和国一ノ宮三輪社の神道と、三輪山の山伏宗が、継受相続されていて、三輪山大御輪寺の寺号も、三輪山平等寺の寺号も、保全されている。
「波切不動明王」の石碑。
手水舎です。元は井戸だったんでしょうね。今も汲み上げているのかな?
水盤の前の「波切」マーク。
波の感じがいいですね。
「波切」マークの刻まれた石碑です。感じばっかりで読めません。
「波切不動尊会」と書かれています。中にはお地蔵さんが軟体化安置されています。
「不動講」の石票。これも歴史がありそうですね。
「波切不動明王」のお堂です。
「東寺執行(とうじしぎょう)」と石票があります。
上には「不動明王」の変額が掲げられています。
中は一段低くなっています。
ご本尊「波切不動明王」です。
なんで一段低くなっていたかというと、まえには井泉があるんですね。水が湧いているんでしょうか。
「波切不動明王」の前の鉄格子が、年月を経てボロボロにさびてますね。なんとも時間の流れを感じさせます。
ちょっと見にくいでしょうか。「波切不動明王」がまつられています。
「波切」の由来は何度か紹介しましたね。「弘法大使空海」は文化元年(804年)「遣唐使」として入唐し、2年間滞在して「恵果(けいか)」を師として密教を学びました「空海」が日本に帰るときに、「恵果」から授かった「赤栴檀(しゃくせんだん)」という霊木で不動明王を彫りました。船が嵐にあった時、この「不動明王」を船首に据えると、船は荒波を切り裂くように進んで無事に日本にたどり着くことができたので、「波切不動明王」とよばれるようになりました。
このことがあって、日本各地に「弘法大使空海」を祀った「波切不動明王」が存在します。なので「波切」と頭につきますが、その実は「不動明王」なんですね。
全国、空海を祀った霊場を回っても、ここに参らなければご利益はいただけないそうなので、「東寺」に来られた際には、ぜひとも「波切不動明王」にお参りください。
アクセス
- 京都市バス「東寺東門前」下車、徒歩5分