川上大神宮社 やすらい祭り

京都三大奇祭

今回も、上賀茂、西賀茂の続きで「川上大神宮社」を訪れます。「川上大神宮社」は4月の第2日曜日に行われる「やすらい祭り」で有名です。「やすらい祭り」は「京都三大奇祭」の一つといわれるお祭りです。なので、正式には「大神宮社(だいじんぐうしゃ)」なのですが、「安良居神社(やすらいじんじゃ)」とも呼ばれます。一般的には「川上村」にあったので、「川上大神宮社」と呼ばれています。後に公家の「醍醐家」の氏神として祀られてきました。

長保3年(1001年)都で疫病が流行して多くの死者が出ました。この時に「川上大神宮」の氏子らが鬼に扮して、「今宮神社」の疫神に悪病退散を祈願しました。この「鎮花祭」である「やすらい踊」により難を逃れたということから「やすらい祭り」として受け継がれていきました。「鎮花祭」というのは、字面から「花を鎮める祭」という意味ですが、昔の人は春によく疫病が流行することと、花びらが飛散する様子が、疫病神が飛び回る様子のようだと結びつけて生まれた疫病退散の神事です。古代においては朝廷の「神祇官」によって行なわれる国家的祭祀であり、「はなしずめのまつり」とも言われます。

この「やすらい祭り」の「川上やすらい踊」は一時中断していたのですが、江戸時代の元禄年間(1688~1703)に再興され、今では国の重要無形民俗文化財として伝えられています。行列の春の花を飾った花傘に入ると、一年間健やかに過ごせるという言い伝えがあります。

では、行ってみましょうか。

川上大神宮社 No2

地図を見ながら、北の方から歩いてきました。入り口がどちらかはわからないのですが、目の前のこんもりとした木々のところが「川上大神宮」だと思われます。

川上大神宮社 No3

どうも、裏口でした...

川上大神宮社 No4

南側にある交差点を東に曲がります。すごい坂ですね。

川上大神宮社 No5

南側の道路に入り口がありました。立派な鳥居が見えますよ。

川上大神宮社 No6

「村社 大神宮」と大きな石票が建っています。

川上大神宮社 No7

しかし、立派な木鳥居ですね。

川上大神宮社 No8

社伝によると天長10年(833年)ごろの創祀だそうです。元々は「上賀茂神社」の読経所にあった鎮守社だったそうです。

川上大神宮社 No9

高さはそれほどありませんが、どっしりとした安定感がありますね。

川上大神宮社 No10

手水舎です。

川上大神宮社 No11

手押し式のポンプです。水は出るようなのですが、スズメバチに注意との張り紙があります。

川上大神宮社 No12

入り口から、拝殿、本殿の方を見ると、すごい傾斜だということが分かります。現在、周囲は住宅街になってしまいましたが、昔は山の斜面にポツンとあったことでしょう。下の方から登ってきて、ここが一番上だったのだと思われます。

川上大神宮社 No13

階段を上がって拝殿まで来ました。

川上大神宮社 No14

本殿までも階段が続いています。

川上大神宮社 No15

害獣除け(人除け?)の金網がされています。

川上大神宮社 No16

歴史のありそうな本社です。

川上大神宮社 No17

「立砂」です。どの「立砂」も上に石が置かれていますね。

川上大神宮社 No18

摂社があります。

川上大神宮社 No19

覆屋は新しく作られたもののようです。駒札がないので、なんの神様なのか不明です。

川上大神宮社 No20

Webなどを調べると「素盞鳴命(すさのおのみこと)」を祀っているとしているものと、「天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)」を祀っているとしているものがあります。「天忍穂耳命」は日本書紀には「正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)」と記述されています。アホな私には絶対に覚えられません。

昔、川上村の東北200mほどのところに「山の森」という鎮守の森があったそうです。上賀茂神社の末社である「川上大神宮社 やすらい祭り」が祀られていたのですが、「山の森」自体が水害で流されたので「川上大神宮」に遷移されたという記述があります。ということはこの摂社は「山森神社」なのかもしれませんね。

川上大神宮社 No21

御神木の大きな切り株がいくつかありました。昔はこんな大きな木々に囲まれていた、森の中の神社だったのではないでしょうか。

地域の姿は変わって行けども、伝統行事は受け継がれていきます。細々とでもいいので未来につながっていくといいですね。

アクセス

  • 京都市バス「下鴨車庫前」下車、徒歩10分

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