きつい坂
「八坂神社」と聞くと、たいていの人は「祇園さん」を思い浮かべることでしょう。貞観8年(866年)から京都を守る「祇園祭」を統べる神社であり、京都市の繁華街一円を氏子とするとても大きな神社です。その「八坂神社」から「牛頭天王(ごずてんのう)」を勧請して創祀された神社が京都市北区にあります。
その名も、そのまま「八坂神社」と言います。分かり易くていいですね。
上賀茂、西賀茂一帯を歩いた時に「史跡 御土居」のある玄琢の坂を上ってお詣りしてきました。バス停でいえば、「玄琢」が一番近いのですが、「玄琢下」や北山通りの「紫野泉堂町」からでも歩けます。でも、玄琢の坂はとってもきついので、「玄琢バス停」で下車して坂を下った方がいいですね。
私は「玄琢下」から、えっちらおっちら歩きました。足がつりそうでふくらはぎがパンパンです。この坂は「迷いの窓」と「悟りの窓」で有名な「源光庵」(現在拝観停止中で2021年秋頃再開予定)へ続く道であり、京見峠へ続く道です。
もうあかん、とギブアップ寸前で見えてきました。
「八坂神社」です。
なんかブルーシートがかけられているので、工事かな?と思ったのですが違うようです。さっそくお詣りしましょう。
鳥居の前にある「八坂神社」の石票です。
拝殿なんですけど、何やら空箱が積み上げられています。どうもお盆行事があった翌日に訪れたようですね。なので、ブルーシートの天幕があったり長机やテントが置かれていたりするわけです。
拝殿の後ろに控える本社です。
本社の前です。
立派な石段と、玉垣です。
本社です。
立派な竜の彫刻がされています。とても勢いが感じられる秀作です。さすが「牛頭天王(素戔嗚尊:すさのおのみこと)」を祀っているだけのことはあります。
境内に「玄琢さん(野間玄琢)」についての案内書きがありました。
この辺りの地名は「玄琢」と言います。お分かりとは思いますが「野間玄琢」からとったものです。「野間玄琢」は江戸時代の名医で朝廷(御所)に出仕したり、将軍家に仕えたりして、現在の玄琢の地(愛宕郡大宮村東紫竹)に領地を拝領しました。「玄琢」はここに居を移して「薬草園」を開いています。
当時の地図です。
東西137間、北113間、南156間、南北160間、西140間、東112間の広さがあり家が15戸あったそうです。1間が1.81818mなので、東西に約250m、南北に約290mあったことになります。でっかいですね。
末社に「北野社」と「稲荷社」が祀られています。
なにか、石が並べられて注連縄が張られています。祭壇でしょうか。
少し中心部から離れた場所なので、なかなか行く機会がありませんでしたが、やっとお詣りできました。「八坂神社」と名前の付く神社は全国にありますが、京都では祇園さんとこの「八坂神社」だけではないでしょうか。日ごろは静かな神社です。近くに来られた時にはお詣りしてください。
アクセス
- 京都市バス「玄琢」下車、徒歩3分