熊野速玉大社
せっかく熊野に来たのですから、「熊野三山」をめぐってお詣りをしましょう。
「熊野三山」のうち「熊野本宮大社」はもうすで昨日から何回も行きましたので、残る「二山」のうち、旅行2日目の午後は「熊野速玉大社」に参詣します。
「湯の峰温泉」からR168号線を通って「新宮」まで車で移動します。平日なので道が空いており1時間程度で「新宮市」に入りました。
R168号線からR42号線に左折し、しばらく走ると「速玉大社前」の信号がありますので、左折して駐車場に向かいます。駐車場に止めると、本殿に近道となるのですが、せっかくここまで来たので、正面の一の鳥居から正式に参拝させていただきましょう。
駐車場から歩いて3分ほどの一の鳥居です。鳥居自体は大きくありませんが、なぜか大きく感じてしまいます。そういえば「熊野本宮大社」は朱塗りのところがなく、黒塗り、または自然のこげ茶色の木が多く使われていたので視覚的には派手さはありませんでした。今ここで、朱塗りを見ると膨張色なので、しっかりと大きく見えますよ。
最近建てられたであろうと思われる、立派な「熊野速玉大社」の石柱です。
立派な一の鳥居です。柱がぶっといですね。
「熊野権現」と書かれた神額です。そう「熊野三山」は「権現」さんなんですね。
一の鳥居を抜けると、境内の方に石畳がつながっています。
あの門の向こうが境内です。
ですが、手前にいろいろとあるので、ちょっと見ていきましょう。
なにかしら読めませんが大きな石碑です。
その横には、ご神木の「梛(なぎ)」の木です。
そらまあ、でっかくて立派な木です。
「世界平和を祈る 梛の御神木」と書かれています。
その反対側に宝物館があるのですが、有料なのでごめんなさい。宝物館の前には「弁慶」の木彫があります。
なんで「弁慶」? こちらの伝承に「武蔵坊弁慶」の出自は熊野速玉大社につかえていた熊野三党の一族である鈴木一族であるというのがあるそうです。
後白河法皇御撰梁塵秘抄所載
熊野へ参るには
紀路(きぢ)と伊勢路(いせぢ)のどれ近し どれ遠し
広大慈悲の道なれば
紀路も伊勢路も遠からず
実は、この「後白河法皇」、大の熊野信者で歴代の上皇のなかで最も多い34回の熊野詣をしています。1158~92年の35年間に34回、ほぼ1年に1回の驚異的なペースです。
神門の前に来ました。
手水舎があります。
手水鉢でお浄め。
さて、神門を...
おっと、神門の横には社務所か?と思ったのですが「大禮殿」という建物です。ここも立派。
神門にある「全国熊野神社 總本宮」の神額です。
「注連縄」も立派。
門の左右にある欄間です。
これも立派です。何から何までさすが熊野三山と思わせます。
やっと神門をくぐりました。
「拝殿」です。すごく豪華な飾りが施されています。
拝殿の「日本第一大霊験所根本熊野権現拝殿」と書かれた神額です。
拝殿ではちょうど御祈祷の真っ最中。
御神鏡が見えます。
さて、境内を見て回ります。
絵馬かけがありました。やはり「八咫烏(やたがらす)」の絵馬ですね。
実は境内の中はとても広いです。
拝殿の後ろには本殿を含めて建物が並んでいます。
この荘厳な屋根。
こちらは「新宮神社」です。
「新宮神社」の石柱。地の神様ですね。
こちらもきれいにされています。
そのお隣には「熊野恵比寿神社」が鎮座しています。
「熊野恵比寿」神社の石柱です。
やはりどこに行っても「えべっさん」は生活に密着していますね。
神布に描かれている「八咫烏」の図案。
境内の外も見てみます。
「熊野詣」と書かれた説明書きと、「奉八度参詣...」と刻まれた石柱。
奥州の熊野信仰も盛んであった証拠です。
2柱が鎮座されています。
こちらもきれいに整備されていますね。
「八咫烏神社」です。
こちらは「鑰宮(がぎのみや)手力男神社(たぢからおじんじゃ)」とあります。
「熊野三山」のうち「熊野本宮大社」と「熊野速玉大社」に参詣することができました。残る「熊野那智大社」は明日、旅行3日目に参詣する予定です。
川原家
で、またまた一の鳥居まで正式に行ってから駐車場に戻る途中、一軒の家の前に看板が。
『「川原家」について』とあります。昔、熊野川が交通の大動脈であったころ、人々は川の近くに住んだのですが、年に5,6回大洪水に見舞われるので、組立解体が簡単にできる「川原家」という釘を一切使わない家が主流でした。
今は喫茶店として使われている「川原家」。
今となってはみすぼらしい感じですが、なんに数回移動しなければいけないとなると、こんな簡易解体できる構造に落ち着くんですね。材料の木は熊野川を使って上流から簡単に運べるし、川沿いが発達していた当時としては理にかなった建物だったのでしょう。
と、駐車場の近くに「川原横町」なるところがありました。
「川原家」が集まっていて、お店やお土産屋さんになっています。
ここにも「川原家」の説明と熊野川の材木や交通のことが書かれています。
これは実際の「川原家」とは違うのですが、現代風「川原家」です。
シンプルですよ。
おお、古い案内書きもありました。「川原町」と呼ばれていたんですね。
新宮城跡
さて「熊野速玉神社」の次は少し新宮市内をうろつきます。一番目につくのが「新宮城跡」でしょうか。行ってみましょう。「新宮城」は「丹鶴城(たんかくじょう)」とも呼ばれたお城です。現在、城郭しか残っていませんが、公園になっているので、中を廻ってみます。
車を駐車場に止めて歩きます。もう一つ道路に面した入り口があります。
山の上の城郭なので、階段をえっちらおっちら上がります。
しっかりとした石垣が残っています。
「危険」とは書いてありますが、通行止めではありません。注意して通りましょう。
おお、海が見えました。今回の旅行で海を見るのは初めてです。
まだまだ階段が続きます。本丸跡まで上がりましょう。
もうすこしかな。
建物の上にトンビが止まっています。けっこう間近です。
新宮の街並みが良く見えていますよ。
見晴らしがいいですね。
熊野川の河口です。
城郭はきれいに保存されています。でも柵はないので、気を付けないと下まで落ちてしまいます。
休憩場所がありました。
お、井戸が残ってます。もしや...
やっぱり、埋められていますね。残念。籠城する時のための生命線だったんでしょう。
一番鵜のところは公園になっていて小さな池のある庭やグランドになっています。
魚とかサワガニがいるんですけど。猫とか来ないのかなぁ。
グランドです。あまり広くありませんが子供が草野球するぐらいの広さはありますよ。
さて、ぼちぼちおりましょうか。
「丹鶴城公園」の案内書きです。だいぶんと見えなくなってきています。
ジュランタが咲いています。昔私の家の庭にもあったのですが、いつの間にか消滅してしまいました。とってもきれいな花なんですけどね。
さて、もう少し新宮市内を散策しましょうか。
海
せっかく新宮まで来ているのですから、やっぱ「海」ですよ。
ということで、道沿いで展望のいいところにやってきました。
おお、海は良いですね。下の線路は「紀勢本線」です。
船がたくさん浮かんでます。
近づいてきますね。徐々に大きくなってきます。
と、「紀勢本線」を急行列車が走ります。
午前中は雨ふりだったのですが、新宮市は午後からは曇り。海もそんなに荒れていません。
なんか巨大な上陸用舟艇みたいな船ですね。このまま砂浜まで突っ込んできたりして。
ということで、新宮市内を探索して夕食をいただいて宿に戻りました。明日、旅行3日目は「熊野三山」の最後となる「熊野那智大社」と潮岬をめぐります。
【番外編 和歌山 熊野那智大社】に続く。
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アクセス
- 国道42号線「速玉神社前」交差点から車で1分。