北の守り
冒頭のタイトル通り、今回は「大将軍神社」を訪れます。昔、京都で「大将軍」と聞けば「ニュー、代将軍!」というキャッチフレーズのCMがあったんですけど、同世代の方なら覚えてらっしゃるのではないでしょうか。昭和40年代とか50年代の近畿放送でよく流れていたCMで、この年になっても耳から離れません。
ま、そんなことは本スジと関係ないので置いといて、「大将軍神社」という名前の神社は東山三条にありますし、「八大将軍神社」という神社も一条通りの紙屋川の近所にあります。「大将軍」というのは「陰陽道」において方位の吉凶を司る「八将神(はっしょうじん)」の一つです。なんで京都には「大将軍神社」が多いのかというと、「桓武天皇」が「平安京遷都」の直後に、都鎮守のために「大将軍」を祭神とする4つの「大将軍神社」を四方に置いた事が始まりです。
「桓武天皇」の「大将軍神社」は
東: 左京区岡崎
西: 上京区紙屋川
南: 該当地不明
北: 北区大徳寺門前
の辺りに置かれたのですが、色々と変遷があり、現在の「大将軍神社」は
東: 左京区の「岡崎神社」と、東山区の「東三条大将軍神社」。
西: 上京区の「大将軍八神社」。
南: 伏見区の「藤森神社」境内。
北: 北区の「今宮神社摂社疫神社」と、「西賀茂大将軍神社」。
となってます。
この、北の守りの「大将軍神社」である「西賀茂大将軍神社」を訪れます。
ちなみに、京都では「大将軍神社」は「たいしょうぐんじんじゃ」と発音することが多いです。西大路通りにある「大将軍」という地名も「たいしょうぐん」です。でも「大将軍八神社」は「だいしょうぐんはちじんじゃ」なんですよね。
ま、これもあんまり本スジに関係ありませんね...すんません。
私は「西賀茂大将軍神社」の北の方から歩いてきました。地図からすると、そろそろ見えてきても良い頃...と思ってると...
おお、「大将軍社」と大きく刻まれた石柱が見えました。でもなんか、住宅の真横ですね。とりあえずそこまで行ってみます。
道の角に石柱どころか、駒札も建ってます。はて、神社はいずこ?
「大将軍神社」の駒札です。
おお、住宅の南側ですね。
なんとでっかい看板が掲げられています。
横には「大将軍神社」のご由緒書きも掲示されています。
大将軍神社の由緒
大将軍神社は推古天皇十七年(約千三百年前)此の西賀茂にあった瓦窯(かわらがま)で働いていた人々の瓦屋寺の鎮守様として建立されたと伝えられ、桓武天皇平安遷都(約千二百年前)にさいして皇都の四囲に大将軍神社を祀られて、当社を北方の守護神とされたと伝えられております。其の後今日まで此の土地の氏神様として鎮座されている、非常に古く由緒ある神社です。御祭神は主祭神として磐長姫命(いわながひめのみこと)でご家族五柱の神がお祀りしてあります。寿命長寿の神様であり方除(ほうよけ)の神様です。
と書かれています。
入り口はもっと先かな...
次の角を曲がると、境内敷地の南側に鳥居があり、こちらが入り口でした。
「大将軍神社」の鳥居にある神額です。
入り口の真正面に「拝殿」が見えますね。石段を上りましょう。
石段を上がっていると、右手に手水舎がありました。
拝殿の横を通って...
本殿です。創建は推古天皇17年(609年)とされています。冒頭にも書きましたが、「桓武天皇」の「平安京」造営に際し、「王城鎮護」のために京都の四方に「大将軍神社」を祀り、当社を北方の守護神としたと伝えられています。古くは「角社(すみのやしろ)」、「須美社」とも呼ばれていたそうです。この辺りの地域は今でも、「北区西賀茂角社町(すみやしろちょう)」という町名です。
灯籠にも深々と「大将軍」の文字が刻まれています。さすが、大将軍、力強いですね。寛永年間に造られたとか。400年ほど前のものです。
本殿前には「立砂」が造られています。
さて、お詣りさせていただきましょう。覆屋の中をちょっと拝見。
中に狛犬がありますね。「覆屋」の中ですけど、金網に囲われています。
こちらも金網の中。
本殿です。この本殿は、天正19年(1591年)に造営された「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」の摂社である「片岡社」の旧本殿を、寛永5年(1628年)から寛永13年(1636年)の間に移築したものだそうです。正面、側面ともに一間しかない「一間社流造(いっけんしゃながれづくり)」で、現存する賀茂社の中では最古の建物と言われています。
金色の飾りがとてもまぶしいです。
では、境内をめぐってみましょう。
左から「片岡神社」、「貴船神社」、「稲荷神社」です。
「角社(すみのやしろ)神社」です。「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」をお祀りしています。「方違え(かたたがえ、かたちがえ)」、「疫除け」の神様です。こちらがもともと祀られていた神様なのかもしれませんね。ちなみに「方違え」ってわかりますか。Wikiに簡素に載ってるので、ちょっと拝借。
外出または帰宅の際、目的地に特定の方位神がいる場合に、いったん別の方角へ行って一夜を明かし、翌日違う方角から目的地へ向かって禁忌の方角を避けた。
つまり、陰陽道で目的の方角の吉凶を占い、その方角が悪いといったん別の方向に出かけて泊り、目的地の方角が悪い方角にならないようにしたという昔の習わしです。
この、「方位神」である「大将軍神」について調べてみると
3年間同じ方角に留まるが、5日単位で遊行する
ということで、3年ものあいだ同じ方角に鎮座する神様なので、ちょっとやりにくいですね。
左から「八幡神社」、「松島神社」、「愛宕神社」です。
左から「山王神社」、「春日神社」です。
とまあ、たくさんの摂社が鎮座しています。歴史の古い神社なので、多くの神様が勧請されたんでしょうね。
「瓦窯」の遺跡から出土した石のようですね。創建当初からこの地域には「瓦窯」が設けられ、平安時代には瓦職人が「官衙(かんが)」の瓦を焼いていたそうです。
近年の発掘調査によると、角社町の窯は平瓦800枚から1000枚を焼くことができるものであり、出土した遺瓦は、大内裏跡で発見されたものと同じで、また「東寺」、「西寺」の瓦も造られたと考えられています。
近くにある「神光院」が創建されるまでは、瓦職人の宿に用いられていた「瓦屋寺」と呼ばれていた寺があり、当社はその鎮守の社でもありました。
昔立っていた鳥居の一部のようです。
「世代受け継ぎの木」と書かれた駒札です。
世代受け継ぎの木
当社の境内に朱色の玉垣で囲んだ場所が三箇所あります。この社に数百年繁茂した大木が倒れた後その根元に木の実が落ち自然に成長した状態であります(実生の木)。この現象は子供が親の養分を受け成長する事を如実にあらわしてをり、将に世代受け継ぎの実態であります。
大将軍神社
こんな感じで、親の養分を十分に吸い上げてすくすくと育っています。
よく見ると、境内の木々はけっこう原始的な姿を残しているものが存在していますね。
西側にある鳥居です。
こちらには案内書きがありました。
この「大将軍神社」、古くからの巨木が現在も生い茂る鎮守の森であり、境内に鎮座する建築物と合わせて京都市によって「大将軍神社文化財環境保全地区」に指定されています。
1400年の歴史を持つ由緒正しい神社です。一度ご参拝されてみてはいかがでしょうか。
アクセス
- 京都市バス「大宮総門口町」下車、徒歩5分