黒川温泉
番外編 九州 も第3弾です。
九州一日目は宮崎県の高千穂辺りをうろつきましたが、宿泊は熊本県の「黒川温泉」まで移動しました。レンタカーのナビが案内する道は、山岳部や原野の中を走る一本道。当然信号もないし、交通量も極端に少ないしと、快適に運転できました。
「黒川温泉」では「旅館 壱の井」さんに宿泊しました。
「旅館 壱の井」さんは少し山際の旅館なんですけどその分静かで、お風呂がグッド。内湯、露天風呂ともゆったりと入れます。上の画像は内湯と露天風呂です。中は撮影禁止なので、お部屋の窓から。
お部屋も純日本風の旅館スタイルです。
そこかしこに色々な装飾があります。
切り絵?があちこちに飾られています。
夕食。この後、まだまだ出てきました。お肉おいしかったです。
朝食です。もう十分なメニューですね。
朝食前に、散歩を兼ねて「黒川温泉」を散策します。
温泉宿が立ち並ぶ旧道の方に行ってみます。
昨夜降っていた雨も上がっていい感じになってます。
「黒川温泉」の案内図。
朝早いので「足湯」はまだ営業時間外です。
「黒川温泉」の「地蔵堂」です。
「黒川温泉」ができるきっかけとなった「首なし地蔵(身代り地蔵)」が祀られています。
「首なし地蔵」です。右上に首が祀られていますね。こちらがもともとのお地蔵さんの頭だったのでしょうか。
塩売りの「甚吉」の身代わりとなって首をはねられたお地蔵さんは、「本多勝十郎」がその首を肥後の国に持ち帰ろうとしました。ところが、ここ黒川で「ここにあんちしてくだされ」とお告げがあり、村人たちが首を守って大切に奉り続けたところ温泉が湧きだしました。これが黒川温泉の始まりです。
なんと懐かしい「射的」ではないですか。当然営業時間前です。残念。
「新明館」さんです。黒川の「洞窟風呂」が有名です。
たぶんここが「洞窟風呂」だと思われます。
「丸鈴橋」まで来ました。
ちょっと紅葉しかけ。
こちらはまだ青もみじですね。
今年初めて見る紅葉です。
山の中なので、紅葉が早いですね。
「丸鈴橋」では梅雨から夏に「カジカガエル」の泣き声が聞こえるようです。
国道422号線の「黒川温泉」入り口です。
「黒川橋」の橋の欄干の上にある飾り。
ここも紅葉の時期にはきれいになるんでしょうね。
ここは「山女魚(やまめ)」が見られるそうです。
「黒川温泉」は山の中の静かな温泉街で、遠くに来たなぁ、と思わせる温泉情緒たっぷりのところです。高千穂からはちょっと遠かったですが、選んでよかったですよ。
十分休養をとって、朝ご飯をお腹いっぱいいただいて、九州旅行2日目に始まりです。
押戸石の丘
さて、カーナビを頼りに車を走らせます。本日第1番目の訪問地は「押戸石の丘」です。たぶん、あんまり有名ではないと思われます。それと、観光バスは入れないところなので、人が一杯になることもないような、観光地らしくないところです。
でも、ここも訪れて見たかったんですよ。
国道212号線から、「マゼノミステリーロード」と名づけられた快適な道を走って、「押戸石の丘」の分岐点に来ました。ここからは、ほぼ未舗装の車1台程度の幅の砂利道です。ところどころに離合用のスペースもあり、高原地なので見通しが聞くこともあり、あまり離合で困ることはないでしょう。
途中の道から見える「押戸石の丘」です。あそこに行きます。
駐車場につきました。良い天気になってきましたよ。
「大自然が生んだ、神秘なる巨石群」。そそられますね、このキャッチフレーズ。駐車場で\200-を払って、いざ探検。
きれいに整備された道を「押戸石の丘」まで歩きます。
「阿蘇」の外輪山の上です。空が広い、というか視界が広いです。
太古の昔から、ここはこんな風景だったんでしょうね。
見えてきました、「押戸石の丘」。
ね。巨石群でしょ。
ぽかぽかと温かく、ハイキング日和になりました。
あの丘の上です。
やってきました、「押戸石の丘」到着です。
人の背よりも大きな岩がごろごろしています。
伝説では鬼たちが夜な夜なこの山で「いしなご(お手玉)」をして遊んだ石と言われています。人為とも思われる石の配置から太古の遺跡ではないかと推定されています。
で、「大岩には約四千年前のシュメール文字がペトログラフ(岩刻文字)として刻まれていて石群と共に興味深い謎を秘めています。」
これですよ、これ。
ほんでもって、この地は、日本の古代史においてもとっても重要な地ではないのかと思われます。
上の図、「押戸石の丘」の公式HPから、ちょっと拝借してきました。「宗像大社」と「高千穂神社」を結ぶ線と「金山巨石群」などを結ぶ線の交点だそうです。で、夏至と冬至の日の出方向にもなっているそうです。
丘の上から見える景色です。雄大でしょ。
古代人もこの景色を見ながら生活していたんですよ。ほんでもって、ここで何がしかの祭祀を行っていたのではないでしょうか。
「押戸石の丘」の巨石を見ていきます。
まずはこの巨石群、石と石の間の線が、「はさみ石」呼ばれるのですが、夏至にはこの岩の間から太陽が昇り、冬至には太陽が沈むそうです。古代では日時計の役割があったのかとおもわれます。また、「嘘つき」がこの間を通ると挟まれるとの言い伝えもあります。わし、挟まれそうなので通りません。
西方向を見ていますので、当時に太陽が沈むところを指しているんですね。
向こうに見える平原に太陽が沈むのが冬至の日。
ほんでもって、この後に紹介する「太陽石」と、この「はさみ石」を結んだ線の行きつくところから太陽が昇るときが夏至になっているんですよね。なんともまあ、人為的な配置の匂いがプンプンします。
こんどは、丘のてっぺんにある「太陽石」です。
高さ5.5m、周囲15.3mの巨石で、この巨石群の中心的な存在です。この岩の周囲では、磁気の働きが、方位磁石がクルクルと回るそうです。昔はこの石に登ると雨が降るとの言い伝えから、秋から、稲刈りの時期に登ると大人たちから怒られたそうです。「鬼のお手玉」とも呼ばれていたそうです。人を癒すパワーの源でもあるそうです。
で、実際に方位磁石を近づけてみました。(方位磁石は駐車場で貸してくれます。)「太陽石」の周りをまわると、確かに方位磁石は正常な動きをせずに、くるくる回ったり一か所を指したりと不思議な動きをします。
丘のてっぺんにあるこの岩が「鬼のお手玉」と呼ばれるのもわかる気がします。
ちなみに、すぐ近くに三角点がありますよ。
ちんまりと、その存在を示しています。
いいでしょ、この風景。雲がけっこう早く流れていくので、見ていて飽きません。阿蘇の雄大さを感じさせられます。
昔の人はここでどんなことをしていたのでしょうか。
北の方を見ると、私が今、車で走ってきた道が見えます。
西の方を見ると、また、岩を見つけました。
「祭壇石」と呼ばれる岩で、神事における供え物を置いた岩ではないかと推測されています。
クモが通り過ぎて、一気に晴れてきました。
南の方をよく見ると、これから訪れようとしている「大観峰」が見えています。
そして、この岩が「鏡石」です。
なんとこの岩こそが、古代「シュメール文字」が「ペトログラフ(岩刻文字)」として刻まれている、神秘的な石です。
上の画像の中心から右45度斜め上方向に大きな黒い丸がありますよね。(その丸の右横には白い丸)この黒い丸から少し左の下の方に線が伸びてますよね。これが「シュメール文字」の「蛇神」と同じなんだそうです。そんでもって、その黒丸の左側にも少し黒っぽいくぼみがありますよね。これが「聖なる牡牛」を表しているそうです。
拡大するとこんな感じです。わかりますか、「蛇神」と「聖なる牡牛」。
ちょっとこれも、HPから拝借してきました。
なるほど。そういわれてみるとそのように見えてきますね。ほんでもって、決定打は...
この地は「南小国町中原(なかばる)」っていうんですけど、「蛇神」は「ナーガ」と読み、「聖なる牡牛」は「バール」と読むそうです。続けて読むと「ナーガ バール」となり、「中原(なかばる)」という地名を表しているのではないでしょうか。
なんか、ぞくぞくしてきましたね。
古代の人々が見ていた風景は、ほぼこれと同じような風景だったと思います。この風景を見ながら、どんなことを考えていたのでしょうね。この地が平和であるように、と「押戸石の丘」の上で祭祀を行っていたのでしょう。
さて、駐車場の方に向かいましょう。なんか北海道みたいな風景ですね。
駐車場まで戻ってきました。私が来た時にはだれも来ていませんでしたが、次のお客さんが来たようです。若いカップルのようですね。彼らはこの岩々を見て何を想うのでしょうか。
さて、九州2日目も出足快調です。天気も良くなり、神秘的な出会いがあり、この後もいろいろと期待が持てますね。この後は大観光地でもある「大観峰」に向かいます。
↓(次の記事です。)
↓番外編 九州 宮崎県 その2 高千穂神社・天岩戸神社(ひとつ前の記事です。)
アクセス
- 阿蘇駅から車で40分