出町妙音堂
今回はだいぶんと前に行った「出町妙音堂」と「豊川稲荷大明神」です。今年の2月初めでしたでしょうか...すんませんね。色々な所に出かけてるので、一回、紹介の時期をミスると、画像フォルダの中に埋もれていてなかなか日の目を見ない事態になってしまいます。まだまだたくさんの画像が眠っているんですよ。ぼちぼちと紹介していきます。
さて、「出町妙音堂」は「出町」とつくので、お察しの様に「出町柳」の近くにあります。賀茂川と高野川が出会う三角州(通称鴨川デルタ)の横に当たるところです。この近所には「出町商店街」や「まめ餅」の「ふたば」さんが有名でしょうか。細かく言うと三角州の西側の所になります。(東側が出町柳です。)
訪れたのは2月のはじめ、まだまだ寒い時期でした。
2月14日は「初午祭」のようですね。「初午」なので「午」の日です。
鳥居の前に建っている「辨財天 出町妙音堂」の駒札です。
辨財天 出町妙音堂
本殿の本尊は青龍妙音辨財天画像で西園寺公衡(一二六四~一三一五)の長女西園寺寧子(大光明院殿・広儀門院)が、第九十三代後伏見天皇の女后に輿入れされた折に、西園寺家第二伝の念持仏として持参されて以来、伏見離宮に祀られ、光厳、光明、崇光天皇と伝承されて来た霊像である。その後享保年間、伏見宮家第十四代貞建親王に至って伏見邸が河原町今出川下がる出町北鴨口に移転され、同時に本尊も奉遷されたのであるが、更に明治初年東京へ遷座の後、京洛の旧信徒再三の請願に依って、再び現在の地に堂宇を建て奉安せられた。世に伏見御所の辨財天と称され、京都七福神の一つとして特に技芸上達、福徳円満の勝益をもたらすものである。
と駒札に書かれています。そういえばここは「青竜町」という町名ですし、「辨財天」は古代インドの川の神様であるし、横に流れる「賀茂川」と「青龍」の関係性、御所の四辺を守る神としての「青龍」と、なんかこの場所にぴったりの神社ですね。「出町妙音堂」は正式には「青龍妙音辨財天」という名前で、相国寺の塔頭である「大光明寺」の飛地境内になっているそうです。
さて、ここに登場した「西園寺寧子(ねいし:やすこ:大光明院殿・広儀門院)」ですが、この方の運命がとっても波乱万丈なんですよ。駒札にあるように第93代「後伏見天皇」の女后に輿入れされ、「量仁親王(北朝初代・光厳天皇)」、「豊仁親王(北朝2代・光明天皇)」を産みます。
1318年、大覚寺統の第96代「後醍醐天皇」が即位したのですが、「後醍醐天皇」による倒幕計画である「元弘の乱」が失敗して隠岐に流され退位となり、その代わりに「量仁親王」が「光厳天皇」として即位し、「広義門院」は「国母」となります。 (○)
その後、1333年、「後醍醐天皇」は「足利高氏(尊氏)」を味方につけて「六波羅探題」を攻略します。その直後に東国で挙兵した「新田義貞」が鎌倉を陥落させて「北条氏」を滅亡させ、鎌倉幕府は滅亡、「光厳天皇」は廃立されてしまいます。 (×)
1336年、「後伏見上皇」没後、「広義門院」は出家します。その後、対立関係になった「後醍醐天皇」を破った「足利尊氏」は、今度は「光厳上皇」を迎え、「広義門院」は上皇実母としての地位を取り戻しました。 (○)
ところが、1351年、「高氏」と室町幕府は「足利直義」と対抗するために、南朝と講和をし、再び「光厳上皇」、「崇光天皇」の皇位が廃されてしまいます。さらに1352年、南朝側は幕府軍を破り京都へ進軍し、「光厳上皇」ら北朝側の上皇、皇位継承者を拉致して大和国「賀名生(あのう:南朝(吉野朝廷)の首都)」へ連れ去ってしまいます。 (×)
京都では天皇不在になってしまい、室町幕府は「広義門院」に懇願して上皇代理として「伝国詔宣(譲国詔宣)」を行わせます。1353年、北朝4代「後光厳天皇」が即位し政権を継承した後も、「広義門院」は院政により影響を持ち続けました。 (△)
「広義門院」「光厳天皇」とも何ともすごい人生ですね。「青龍妙音辨財天画像」もこの流れを目の当たりにしてきたのですよ。
さて、前置きはこれくらいにして、お詣りさせていただきましょう。
鳥居には「妙音天」の神額が掲げられています。
「出町青龍妙音弁財天御鎮座百周年記念」の石碑。
ちょっと判読不能。
「妙音堂」です。
右に「手水舎」。
左手には社務所。
「扶樹教道」の変額が掲げられています。
ここにも古い駒札がありました。
灯りがともされていて、とてもいい雰囲気ですね。
「妙音堂」の神額です。
「大辨財天女和讃」です。最後の所に
南無辨財天女尊(三辺又は、七辺、二十一辺、百辺)
おんそらそばていえいそわか(同右)
とあります。百辺はちょっと大変ですね。
なんとまぁ、京都らしい雰囲気ですね。左の画像がご本尊の絹本着色「青龍妙音弁財天画像」の写真です。
こっち側の説明書きは写真を撮ったのですが、「青龍妙音弁財天画像」の方は撮り忘れました。
たくさんの絵馬が奉納されています。
中にも「妙音辨財天」の神額が掲げられています。
良くわからないのですが、これがご神体になるのでしょうか?
春を迎えるこの雰囲気がとても気に入りました。祖父母の家でも、こんな風にお飾りをしていたのでとても懐かしいですよ。
豊川稲荷大明神
今度は、奥まったところにある「豊川稲荷大明神」です。
どん突きの所に鎮座していますね。
だいぶんと奥まったところで、鳥居が並んでいるのですが...
まずは、最初の鳥居に「豊川稲荷大明神」の変額です。
鳥居の感覚がだいぶんと詰まっています。
こじんまりとしていますね。
本社です。「南無豊川吒枳尼真天」とありますね。
感じがなかなか出てきません。「真言 おんしらばはらたにりらん婆波訶(そわか)」と書かれています。
祠の前まで来ました。
ご神鏡が輝いています。
凛々しいお顔のきつねさん。
「豊川稲荷大明神」については駒札もなく、Webで調べても創祀や変遷については不明でした。「吒枳尼天(荼枳尼天)」が祀られているので、仏教でいうところのお稲荷さんですね。豊川市にある「豊川稲荷(妙厳寺)」と関係があるのでしょうか。「妙厳寺」も「豊川吒枳尼真天」として知られていることから、なにがしかの関係性を想像してしまいます。
賀茂川の三角州が有名になって若い人も訪れるようです。こちらの方に来られることがあったら、一度お詣りしてみてください。
アクセス
- 京都市バス「河原町今出川」下車、徒歩5分