消えていく技術
パソコンやインターネットの普及で世の中が一変しましたね。特にゲームの世界は様変わりが尋常じゃないです。パソコン普及前にはTVゲームなんてのもありましたが、パソコンやスマホに比べると子供だましのようなもの。でも、昔々からゲームは存在していましたし、今でも細々とは続いているのですよ。今回はもうすでに閉店してしまったのですがゲームの老舗です。
今の子供たちにゲームというと、当然パソコンやスマホの中の画像で遊ぶものが浮かぶのでしょうが、私らおっさん世代にとっては、トランプやカルタ、「人生ゲーム」とかのボードゲームが思い浮かびます。日本で古くからあるのはカルタや花札ですね。やはり「百人一首」が古典的なゲームの最高峰でしょうか。でも、学の無い庶民には「百人一首」なんて覚えられないので「坊主めくり」が関の山。なので庶民はやはりカルタでしょうか。今でも子供の教育のためのカルタやお正月用のカルタは販売されているようですね。そのカルタを製造していた老舗を訪ねます。
ただし、今回の「松井天狗堂」さんは、2010年に閉店されて、現在は販売をされていませんので、訪問するなどの迷惑をされないようにお願いいたします。
「松井天狗堂」さんは「高瀬川」沿いにあります。小説にもなった「高瀬川」は「角倉了以」が開削した運河です。江戸時代から大正期まで約300年ほどの間、京都と伏見の間の水運に寄与しました。
現在は川が流れているだけで、三条、四条あたりは観光地化していますが、四条より少し下からは何もない普通の住宅街を流れています。上の画像は「高瀬川」の東沿いを走る「木屋町通り」です。画像左の草の後ろが「高瀬川」です。
最近、徐々に下の方までお店や宿泊所が出来てきています。
ここは「正面橋」です。「正面通り」の橋です。ここを東に行くと、「任天堂」の初代社屋が残っています。
「任天堂」もカルタや花札から始まった企業ですし、この附近にはカルタや花札づくりをしていた小さなお店がいくつかあったのかもしれませんね。
その「正面橋」の少し下の方に「かるた製造元 松井天狗堂」さんがあります。はっきり言って普通の家です。工場とかではありませんよ。昔からの京都の老舗といえば、多くが普通の家であるところが多いです。「松井天狗堂」さんは、表絵を手摺りで色彩する江戸時代そのままの手法で「花札」を製作していました。
職人の高齢化と後継者がいないことを理由に平成22年(2010年)に閉店されました。もったいないですね。今京都で残ってるのは「任天堂」を除くと「将軍堂(田村将軍堂)」と「大石天狗堂」ぐらいになってしまったんでしょうかねぇ。
技術の進歩は世の中に多くの幸せをもたらしますが、その陰で消えていく技術もありますね。仕方がないのかもしれませんが、何かもの悲しい気持ちになります。
アクセス
- 京都市バス「河原町正面」下車、徒歩7分