昔の京都が残る松ヶ崎
今回は、昨年の秋に訪れた「松ヶ崎大黒天」です。正式には「松崎山大黒天妙圓(円)寺」といいます。お年寄りには有名なようで「都七福神めぐり」や「京都七福神めぐり」として知られているようです。それと、少し前にはやったアニメの「けいおん!」に登場するとのことで聖地巡礼で若者が訪れている時期もあったとか。
旧北山通りの入り口です。
鳥居が立ってますね。
少し進むとすぐに山なのですが、ここは「大文字」のときの「妙法」の「法」の字のところです。
ちょっと電線がうるさいですけど、見えますでしょうか。
どん突きの所には「白雲稲荷神社」があるのですが、「松ヶ崎大黒天」は左に曲がっただいぶん先の方です。
この献灯のある方に。
つーか、七色の七福神幟がいっぱいあるので、まぁ、間違いませんわな。どんどん進みましょう。
少し坂を上がっています。
ゆっくりとした上り坂が続きます。
最後は鳥居をくぐって階段です。
階段の上が山門ですよ。
山門まで上がってきました。
こちらが本堂です。鳥居をくぐってきたのですが、「松ヶ崎大黒天」は最初にも書きましたが「妙圓(円)寺」という日蓮宗のお寺です。
いつごろの創建なのかは不明なのですが、「松ヶ崎大黒天」は、元は比叡山三千坊の一つであり、天台宗の「歓喜寺」と言うお寺でした。ところが、鎌倉時代、の永仁年間に「日像」が松ヶ崎村で辻説法を行い、当時の「歓喜寺」住職は日蓮宗に改宗します。松ヶ崎村の村人も改宗したので、比叡山山門僧徒が怒って全村を焼き払ったそうです。
その後、江戸時代の、当初、境内東の松ヶ崎の檀家により、本堂、庫裏が建立されとも、また、この地には「日英」の隠居所があったことから「日英」により隠居所として建立されたとも言われます。帰依する者が多く「妙圓(円)寺」と称したそうです。江戸時代の後期には「大黒堂」が建立されたのですが、現代、昭和44年(1969年)、失火で焼失しています。昭和47年(1972年)には本殿、客殿が再建されました。
ちょうど紅葉がきれいな時期に来たのですよ。すごいでしょ。
天気のいい日なので、紅葉の赤が映えます。
色々な色が楽しめて紅葉散策にはもってこいの境内です。
ちょうど見ごろのもみじです。
そして、イチョウの木も同時期に見ごろという何とも恵まれたところなんですよ。
こちらは「絵馬堂」です。休憩所になってます。
さて、お参りしましょうか。
本堂前に「なで大黒」さん。お腹を撫でる人が多いのか、太鼓腹がピカピカに輝いてます。
ささ、本堂へ。
「松ヶ崎 開運大黒天」と立派な扁額が掲げられています。「開運」とありますが、ご利益として寿福円満、開運招福、商売繁盛、病気平癒、良縁祈願、厄除、子どもの心の病平癒、水子供養がうたわれています。
ご本尊の「大黒天」は、「最澄」作といわれ、「日蓮」の開眼ともいうそうです。昭和44年(1969年)、失火でお寺が焼失したときにも、大黒天像だけは焼失を免れており、「火中出現 火伏守護の大黒天」とも呼ばれています。
帰りは裏口になる西の方に行きましょう。
こちらも紅葉がとてもきれいです。
紅葉目的には、あまり人が来ないところなのでゆっくりと見られますよ。
松ヶ崎が開発されてきたのはつい最近ですから、この辺りには昔からの京都の風景が比較的残っているところです。暖かくなったら、ポチポチと歩いてみてください。
アクセス
- 京都市バス「松ヶ崎大黒天」下車、徒歩10分