大手筋で うろうろ
「京都一周トレイル・東山コース」の「 伏見・深草ルート〔標識=東山F1~F35〕」の一部を歩いてきました。
で、神社や旧跡をいくつか紹介しましたが、もう一つ「旧跡」に当たるところを紹介しましょう。
事前に「京都一周トレイル」のコースをWebで確認した時に、「伏見銀座跡」というのを見つけました。その時にはあんまり興味がわかなくて、「ま、ええか。そのうち行こ。」と思ってたのですが、現地に行くと無性に気になってしまい、いきなり探すことになってしまいました。
で、Webで見た時に、正確な位置を見ておけばよかったのですが、「自分が降りる近鉄桃山御陵前よりも西、京阪伏見桃山よりも西」ぐらいにしか記憶に残ってません。スマホは持ってるのですが、SIMはなくてWi-Fi専用状態。仕方ないので記憶を頼りに探してみます。
まずは「近鉄桃山御陵前駅」を下車して「大手筋(おおてすじ)」に出ました。西に向かいましょう。
振り返ってみると、こんな感じです。路駐の客待ちタクシーが多いですね。「大手筋」というのは「豊臣秀吉」の築いた「伏見桃山城」の「大手門」に続く道であることから、そう呼ばれています。昔は桃山城の城下町として、この道を中心に町が栄えました。
少し歩くと「京阪伏見桃山駅」です。ここも越えました。
さて「伏見大手筋商店街」の中を目を皿のようにして探します。向こうに見える、アーケードの出口まで行ったのですが見つけられませんでした。残念。
仕方ないので、元来た方へ帰ります。
あきらめて戻ってきたときに京阪伏見桃山駅のすぐ手前で発見しましたよ。行きは駐車車両の陰で見えなかったようです。
これですよ、これ。「近畿労働金庫伏見支店」の前です。
「出店お断り」じゃなくて...
「此付近 伏見銀座跡」の石票です。「銀座」の石碑が銀行の前というのもなんともねぇ。(よく見ると、『出店お断り』の看板も古いですねェ。)
横に案内書きがあります。
此付近伏見銀座跡
これより北方の銀座町は江戸時代のはじめ、徳川家康によってはじめて銀座がおかれたところである。銀座とは、鋳を加工して一定の品位をもつ丁銀、小玉銀などの銀貨とする独占鋳造所のことで、特権商人によって構成される。関ヶ原の戦が終った翌慶長6年(1601)5月、家康は後藤庄右衛門、末吉勘兵衛に銀座取立を命じ、この地に四町の屋敷を与えた。有力庄人の座人が集められ、早くから銀鋳造は特殊技術をもつ大黒常是が鋳造を担当し、銀座会所、座人屋敷が立ちならんだ。これが、江戸時代銀座のはじまりである。慶長13年、銀座は京都中京の両替町へ移され(のち江戸、大阪などにも設置)、伏見銀座は廃止されたが、銀座の地名を今にとどめている。
慶長13年は1608年なので7年の間ですが、徳川家康によってここに銀座が開かれました。廃止までに総額120万貫が鋳造されたそうです。
今では「銀座」と言えば東京の「銀座」が思い浮かびますが、ま、ここが東京の「銀座」の祖先ですわな。この辺の地面 掘り繰り返したら銀の破片でも出てきいひんかな。
と、まぁ、こんな風に脱線ばっかりしてるからタイムロスして予定のコースを回りきれへんのやなぁ...
ちなみに、中京区の両替町にある「此附近 銀座遺址」の石碑はこちら。
アクセス
- 京阪電車「伏見桃山駅」下車、徒歩1分