やっぱり、撮影禁止ばっかり...
NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」に触発されて、福知山市内を散策してみようということになり、昨年の12月に訪れました。一番に目指したのは「福知山城」。「明智光秀」は3年程しか居城しなかったようですが、「亀山城」と並んで京都府では有名です。
駐車場から、城壁などを見ながら「郷土資料館」となっている天守閣まで来ました。
左手が城の入り口、つまり「郷土資料館」の入り口です。
おじゃまします。入館料は大人\330-です。
さて、順路に従って、展示されている資料を見ながら1階ずつ上に上がっていくのですが、「郷土資料館」というだけあって、右を見ても左を見ても撮影禁止マークばかり。
ま、仕方ないですけどね。通路はとても近代的できれいです。
こういう何気ない部屋が当時の雰囲気を忍ばせてくれます。
よく見ると、まだ紅葉してますよ。
「上段の間」です。こんな展示もあります。ここは撮影禁止ではなかったよ。
「福知山城」は長きにわたって存在したお城なので、光秀の時代だけが有名なのではありません。
展示の写真が撮れないので物見窓から下を撮った写真です。
お見せできませんが、当時の甲冑などは当然のこと生活用具や光秀直筆の書状などが展示されています。1階ずつ上がっていきます。
写真ではお見せできませんが、けっこういろいろな展示があって、素人の私が見ていても面白かったです。
最上階まで来ましたよ。
やっぱり高いところは良いですね。ウキウキします。
今日は霧が出てるので遠くまで見えませんが、高台の上にある「天守」だけあって、眺望は良さそうです。
「大天守」に続く「小天守」。
いやぁ、これを見るだけに上がってきてもいいですね。とっても気持ちいいです。
さて「郷土資料館」を堪能したので今度は城郭のまだ見ていないところを見ていきましょう。
前回もチラッと登場した「釣鐘門」です。これも平成21年に復元されたものです。
さて、一番気になっていたのがここ。
御城の場内にある「朝暉神社(あさひじんじゃ)」です。
手水舎です。
その横に「朽木昌綱公頌徳碑」とあります。「朽木 昌綱(くつきまさつな)」は福知山藩の第8代藩主で、貨幣研究家として古銭を収集した人だそうです。
でこちらが本殿。
「朝暉神社の由來」が書かれています。福知山藩の初代藩主「朽木稙昌(くつきたねまさ)」が父である「稙綱(たねつな)」を藩祖として城内に祀ったのですが、第11代藩主「綱條(つなえだ)」が「朝暉神社」として一社を建立したそうです。
明治時代、廃藩によって城外に遷移したのですが、明治14年(1881年)に町民らの要望で天守台跡に再建され、昭和61年(1986年)の天守再建時に現在の位置に遷移しました。
鉄砲の名手「牧重郎左衛門」の技量を後世に伝えるため、時の城主「松平忠房」が建てた記念碑だそうです。
この石碑、当初は土師(福知山城から見て川の反対側の地名)の絵堂坂にあったものが、旧国道九号線の整備によって放置され、その後に民家の裏庭に置かれていたようですが、福知山城再建時に寄進されて、この場所に移設したそうです。
こうして見ると、本丸にはいろいろなものがありますね。
「朝暉神社」の後ろの方に石碑があります。「祝歌」と書かれており、天守閣の再建竣工のときに建てられたようです。
そういえば、まだ「狭間(さま)」の写真撮ってませんでした。ここから鉄砲を撃ったり、弓を射たりするための小窓です。
ちょっと、転用石をよく見ておきましょうか。
まぁ、いろいろなものがありますね。よくもこんなにうまく積み上げたものです。
どうみてもお寺から持ってきたと思われるものがありますが、仏罰は当たらなかったのでしょうか。
さて少し下がりましょう。
「小天守」を下から見上げます。
ここにも転用石がいっぱい並べられています。
本丸の北側です。
すんごいエッジの効いた積み方ですね。
一周してきました。前の階段を上がったところが「釣鐘門」です。
徐々に切りも晴れてきてます。「福知山城」は十分見ましたので、城下町の方に行きましょうか。明智光秀に関する旧跡や史跡を巡っていきます。
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アクセス
- 福知山城公園・・・JR福知山駅から徒歩約15分