水無月 氷室跡

当然、今年も食べました。

昨日、「夏越の大祓」のことを記事にしました。「茅の輪くぐり」のことは書いたんですけど、「水無月」のことは書きませんでしたね。で、今日は水無月の話を書きましょう。

「水無月(みなづき)」といえば、普通は月の異名で6月を指します。でも、京都人が「水無月」と言って一番に思い浮かぶのは和菓子の「水無月」でしょう。そう、あの「ういろ」のことです。あの小豆の乗ったやつです。「ういろ」を買う時には「白と抹茶と水無月」という風に小豆とは呼ばずに「水無月」と呼びます。私も小さいころから「水無月」といえば「ういろ」のことだと思ってました。それほど固有名詞としてういろの「水無月」は京都では当たり前の呼び方なのです。

ま、6月に食べるから「水無月」となった、というのが名前のいわれでしょうけれども、なんでわざわざ6月30日に「水無月」を食べなくてはいけないのでしょうか。これは庶民的な発想なんですね。

もともと、宮中では夏の暑さを乗り切るためには氷を食べるとよいと信じられてたので、昔々から夏の熱い時期に氷を食べていました。奈良時代や平安時代に電気が通っているわけでもなく、冷蔵庫があるわけでもなく、夏に氷を作る事は出来なかったので、冬にできた氷を何とか夏まで溶けささないようにする技術が確立されました。それが当時「氷室」と呼ばれた氷の貯蔵施設です。

寒い冬に池で出来た氷を「氷室」という地下に掘った穴の中で暑い夏まで保存します。穴の底に杉の木の枝葉を敷き詰め、板を張って氷を載せ、木の枝葉や葦、萱で覆って貯蔵したそうです。そんなんで夏まで氷が解けなかったんですね。ま、それほど気温の低いところということでしょう。原理的なことを言うと、氷室の中は地下水の気化熱によって、外気より温度が低かったのだそうです。地下水が豊富に湧く涼しい山の中、というのが氷室に適したところなんですね。

さて、この「氷室」なんですけど、京都にはその名も「氷室」という地区があります。この地名はもちろん「氷室」があったからこそ付いた地名で、平安遷都後、なんと明治維新まで「氷室」は機能していたそうです。「氷室地区」は住所でいうと京都市北区なんですけど、地図で見ると「金閣寺」の北の方、はるかかなたの山の中に存在します。旧暦の「水無月」は今でいえば夏の暑い真っ盛りであり、そんな時期である旧暦の6月15日(現在の8月初旬)に北区の山の中から御所まで氷を運んでいたのです。他にも氷室はありましたので、ここの氷室は「来栖野氷室」と呼ばれていたようです。

当然「氷」は超貴重品。天皇や朝廷の偉いさんにしか回ってきません。で、暑い夏を何とか健康に乗り切りたい庶民は、氷に見立てた「ういろ」を食べることでその代わりとしたのです。それも三角形に切って、氷らしさも表現しています。それに加えて「魔除け」の効力があるとされた小豆をのせて、一石二鳥を狙ったのでした。こうして、京都では「水無月(6月)」に「水無月(和菓子)」を食べるという風習が広まっていきました。

水無月(和菓子)も以前紹介しましたので、今回は「氷室」を紹介しましょう。「氷室」に行くには。西大路通りの「バイカル金閣寺店」の所から西に入り、「原谷」を抜けて行くのが昔からの道だと思われます。最近はあまり知られていませんがこの道は「氷室道」という名前で呼ばれてました。もしくは、西大路通りか千本通りを北上して「鷹峯」から「京見峠」を通って行く道が一般的でしょうかね。私は「京都一周トレイル」を歩いている時に寄ったので、上賀茂の北の果てから山を越えていきました。

氷室跡 No2

「京都一周トレイル」の北山西部、「氷室」に出る手前です。

氷室跡 No3

ゲートが見えてきました。

氷室跡 No4

「氷室地区」も獣害が顕著です。

氷室跡 No5

しっかりと閉めます。

氷室跡 No6

「氷室地区」のはずれに出ました。

氷室跡 No7

「京都一周トレイル」の標識発見。

氷室跡 No8

「現在地 氷室」と書かれています。「京見峠」方向に歩きます。

氷室跡 No9

のどかですね。人家もまばら。過疎化が問題となってる地区でもあります。

氷室跡 No10

田畑は整備されていますので、農業は営まれているようです。

氷室跡 No11

三叉路に出ました。「京都一周トレイル」は左に曲がります。

氷室跡 No12

でも、右手の土手の所をよく見ると...

氷室跡 No13

「←氷室跡」という何とも見落としそうな標識が立ってます。

氷室跡 No14

この道ですか? と心細くなるような細い道です。畔のような道です。

氷室跡 No15

どんどん続きます。

氷室跡 No16

お、なんか石垣が...

氷室跡 No17

地下水が湧いてます。最初、「氷室」と言えばこんな横穴式なのかなと思ってたんですけどね...

氷室跡 No18

まだまだ道は続きます。

氷室跡 No20

また湧水があります。山の上の方なのですけど、地下水は豊富です。「氷室」にはもってこいですね。

氷室跡 No19

こっちへ降りろ、と。

氷室跡 No21

こんなところに水路ができるほど水が良く湧いてます。

氷室跡 No22

ここを登れ、と。

氷室跡 No23

お、出てきました。「氷室跡」の石票。

氷室跡 No24

いざ、登ります。もうすぐですよ。

氷室跡 No25

きたー。

氷室跡 No26

「氷室跡 窪んだ所3ヵ所です」と書かれています。窪んだところ...?

氷室跡 No32

なるほど、これですか。

氷室跡 No27

こうして撮ると、確かに窪んでいるのが良くわかりますね。

氷室跡 No28

ここも確かに窪んでいます。

氷室跡 No29

ここはよくわかりますね。

氷室跡 No30

確かに窪んでいます。

横穴式ではなくて、斜面に直接穴を掘ってますね。明治維新で東京奠都するまでは、平安時代から脈々と氷室が営まれてきました。

氷室跡 No34

ぼちぼち戻りましょう。

氷室跡 No35

さっきの三叉路に戻ってきました。

氷室跡 No36

さて、私は「京都一周トレイル」に沿って「高雄」まで行きますよ。

氷室跡 No37

少し南下すると「氷室神社」。ここも以前に紹介しましたね。あれ? まだでしたっけ?

氷室跡 No38

「氷室神社」は「氷室」と「氷池」を守護するために創建された神社です。

「夏越の大祓」も終わり、今年も後半戦。今から暑い夏の本番です。みなさんも健康でこの夏を乗り切ってくださいね。

アクセス

  • 京都一周トレイル「北山65」から、徒歩10分程度

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする