麒麟がくる 光秀公の最期 明智藪

三日天下

本能寺の「織田信長」を討った後、「明智光秀」は「大山崎の合戦」で「羽柴秀吉」に挑みます。

でも、あえなく敗退。

大山崎から琵琶湖畔の坂本城に逃げる途中、伏見の大亀谷辺りから山科に向けて峠を越えた「小栗栖(おぐりす)」の竹藪で小栗栖の豪族であった飯田氏に襲撃されて最期を遂げました。俗にいう「三日天下」です。

で、光秀公が討たれた「小栗栖」の「明智藪」を訪ねます。

最寄りの駅といえば京都市営地下鉄「石田駅」になります。

麒麟がくる_光秀公の最後_明智藪 No3

「石田駅」の1番出口から出てきました。

麒麟がくる_光秀公の最後_明智藪 No2

上の画像の真ん中より少し左手が大亀谷の峠になります。右の山の上の鉄塔は「大岩神社」の所の鉄塔ですね。

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明智藪に向けて歩いていると「麒麟がくる」の幟が立ってるんですけど、なんと「福知山」の幟。福知山は商魂たくましいですね。

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さすがNHKの大河ドラマだけあって、道案内の標識まで立っています。大河ドラマにならんかったら標識もなく地図を見て右往左往するところですよ。

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昔からの細い生活道路をごそごそと歩きます。

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ここは右の方に行きます。このまま坂を上がった「本経寺」にも「明智光秀」の供養塔があります。

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お、なんか見えてきましたよ。

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まずは「明智藪」の石柱です。

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その横に「明智藪」の石碑。でもここが襲撃場所ではないんです。

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もうあと30m進んだところです。

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幟が乱立しています。「可児市」の幟も見えますよ。やるな「可児市」。

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ここです。

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ここです。この場所が「光秀公」が討たれたという「明智藪」です。

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以前は後ろの方全部が竹藪だったんですけど...

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何か開発されてしまって、情緒もくそもありません。

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「光秀公」はこの辺りで飯田一党に襲撃されて、ここで命を落としたとか、もう少し進んだところで切腹して部下に介錯されたとか伝わります。

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落ち武者狩りの飯田一党にに脇腹を竹やりで刺された光秀公。

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天正10年6月13日に討たれたそうです。光秀公は夜陰に乗じて坂本城を目指したそうですから、光秀公を討った本人も誰を討ったのかは全然わかっていなかったことでしょう。

色々な戦に翻弄されながらも、一般民衆が暮らしやすい天下を目指した光秀公。彼が治めた城下町は今でも彼のことを慕って信仰したり祭を行ったりしています。ドラマの中で「麒麟がくる世」ということを繰り返し言ってますが、彼の足跡をたどればたどるほどに、まさに彼はそれを望んでいたのだと感じました。

さて、光秀公終焉の地をしっかりとこの目で見ました。少しセンチメンタルな気分ですが、ぼちぼちとここを離れましょう。

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丘陵地から降りてきて、道沿いに北に向かって歩きます。この丘の向こう側が明智藪です。

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道の途中で「明智藪」の案内。地下鉄「醍醐駅」からくると、こっちの方からアプローチすることになります。

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ちょっと行ってみましょうか。アスファルトの道を上がります。

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畑や空き地の横を通って行きます。

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何とものどか。

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見えてきました。さっき言った「明智藪」です。

ドラマはまだ終了しておらず、この後クライマックスを迎えます。次の大河ドラマは戦国武将ものではないようですので、もうしばらくは「麒麟がくる」に関連したところを巡っていきたいですね。

アクセス

  • 京都市営地下鉄「石田駅」下車、徒歩10分
  • 京都市営地下鉄「醍醐駅」下車、徒歩15分

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