まだまだ遠い緊急事態宣言解除
当初の予定では2月7日までだった緊急事態宣言は案の定延長されてしまい、いまだに不要不急の外出は制限されています。
「Blogの記事を取材に...」なんて理由にならないので、人出の多いところに行くことは控えています。ま、節分祭とかの行事も縮小されたり、一般参列を取りやめたりとかで、取材するネタがないのも事実。
んなことで、昨年に出かけた岐阜、三重遠征のことでも書きましょう。
10月24日(土) 晴れ
私の住む京都府から岐阜県や長野県を目指すときには名神高速道路を使います。京都南ICから乗って、滋賀県の山間部、関ヶ原と超えると濃尾平野に入って視界が開けたところに「養老SA」があります。ちょうど2時間ぐらいなので、ここで休憩を取ることが多いのですが、サービスエリアの観光案内を見ていると「養老の滝」というのがこの辺りの目玉。自分で名神高速道路を利用しだして、学生のころから30年以上たちますが、「養老SA」は頻回に利用するのに「養老の滝」は未経験。
こりゃ、「赤目四十八滝」に続いて、一回行っとかんといかんな、ということで10月の土曜日に行ってまいりました。最初は「養老の滝」とその近辺を巡る予定だったのですが、話がどんどん大きくなって、範囲は三重県まで広がり、帰りの時間も夜遅くなることとなりました。
まずは「養老の滝」の近辺を巡ります。
養老公園
「養老の滝」は「養老公園」というところにあるのですが、この「養老公園」がこれまた広い。
養老公園は、名瀑「養老の滝」を中心とした養老山麓に広がる東西約1,800m、南北約600m、総面積786,000平方メートルの都市公園です。四季を通じて、幅広い年齢層の皆さまにお楽しみいただける、自然と芸術・スポーツ施設を備えた県民の憩いの公園です。
と施設案内にあるのですが、子供連れ出来たら1週間ぐらいは遊べそうなほどいろいろな施設があります。今回は「養老の滝」が主目的なので、そこに絞って散策しましょう。
駐車場はあちこちにあるのですが、有料の所と無料の所があるのでWebで調べてから訪れてくださいね。私は当然無料のところ...駐車場に車を停めた横に展望所があったので公園内を見渡しましょう。
なんかね、とてつもなく広いですよ。
のどかでいい景色。
山の方にもキャンプ場などがありますよ。
では、「養老の滝」を目指して歩きだしましょう。広い広い公園ですが、コロナのせいなのか、ガラガラで誰もいません。駐車場もいっぱいあるのですが、広い広い駐車場にポツっ、ポツっと、申し訳なさそうに車が停まっています。
イチョウの紅葉が始まっています。
少し小高い丘を越えます。
丘を越えると川に出ました。
この川が「養老の滝」のある「滝谷」と呼ばれる川です。
ドンドコ流れてきてますよ。
川に沿って坂を上って行きましょう。
さすがに「養老の滝」には観光客が来ています。でも、ちらほら。
たぶん紅葉シーズンには絶景となるであろう青もみじたち。
「養老の滝」周辺には、このような歌碑がたくさんあります。でも、悲しいかな学の無い私は知らない歌ばかりですよ...
道は最後の最後まで舗装道なので、スニーカーやサンダルでも苦になりません。ただ、雨のときやそのあとは少し滑りやすいかもしれませんのでお気を付け下さい。
だんだんと渓流の様相を帯びてきましたよ。
おお、見えました! 「養老の滝」ですよ。
けっこうなスケールです。もっとちっさいのかと思ってました。すんません。
涼しそうですよ。
到着しました。「養老の滝」の石碑です。
「養老の滝」は落差32m、幅4mのりっぱな滝です。
絵馬が奉納されています。
滝を見たので一安心。今度は「ガイドブックに載らない京都」らしく、神社を見に行きます。「養老の滝」ですから、当然「養老神社」があります。ほんの少し下流なのですぐのところです。
お、鳥居が2カ所見えてきました。
手前の鳥居は「金刀比羅神社」です。
すんません、ちょっと高いので下からごめん下さい。
その先にあるのが「養老神社」です。
「養老神社」の石柱です。
じつは、ここは正面ではなくて横の入り口です。ホントは「養老神社」に正面からお詣りして、ここから「養老の滝」へ向かうんですね。
手水舎には「とっくり」から水が注がれています。これは後ほど「菊水泉」のところでお話しします。
むっちゃ立派な造りですね。
手前に小さなお社があります。
摂社なのでしょうけど、詳細不明です。
さて、拝殿の方に行きましょう。
正面から。
いや、しかし立派ですね。
「養老神社」の神額です。
拝殿はガラスが貼ってあるので本殿の方が良く見えません。
ちょっと横から失礼をして本殿を拝ませていただきました。
さて、「養老神社」の隣にあるのが「菊水泉」。
「菊水霊泉」とありますね。
「菊水泉」の駒札です。
謡曲「養老」と菊水泉
霊泉といわれる「菊水泉」の伝説は、古くは奈良時代の続日本紀にみられますが、語り継がれて鎌倉時代の十訓抄などに載っています。
即ち、元正天皇の御代、美濃国に貧しい男がいて、苦労しながら老いた父を養っていた。ある日、酒の香りがする泉を見つけ、男は喜んで毎日汲んで帰り、なお孝行に励んだ。うわさをお聞きになった天皇は、当地に行幸され、そして、めでたい泉の出現は養老の徳のたまものとして、年号を「養老」と改められた。
謡曲「養老」は、この伝説を基に作られたもので、孝養と長寿と平和をたたえた初能物です。謡曲では最後に裏山の山神が現れ、尽きない泉、着きない平和の御代を願っています。
謡曲史跡保存会
こんこんと湧いています。
「養老町の天然記念物 ベニマダラ藻」と石碑にあったのですが、これですか? どうもちがいそうですね。ま、帰ってから調べてみましょう。
さて、駐車場の方に来ましょう。ホントはここから参詣するのが本筋であった石段。前を通る人は一瞬見上げてから道路の方を歩いて行っています。さすがにこれを上るのはしんどいでしょうね。
石段の途中に「和池」とありますので見に行きます。
ごそごそとわき道を行くときれいな流れに出くわしたのですが、「和池」とはこれのことを指しているのでしょうか?
石段の下まで降りましたよ。振り返るとこんなんです。ま、登り辛いですね。
さて、駐車場の方に向かいます。
途中「養老孝子 源丞内の碑」と幟が立っています。先ほどの酒の伝説のもとになったという人らしいです。
「源丞内の碑」とありましたが、お墓のようですね。
お隣にはお堂があります。ちょっと見せていただきましょう。
反対側のお堂の正面に廻りました。
地元の方がお堂の掃除をされた後の休憩をされているようです。
ちょっとおぁまして写真を撮らせていただきました。
鐘楼は残っています。
駐車場近くにお相撲さんの石碑がありました。
「鬼面山谷五郎」という養老出身の第13代横綱(明治最初の横綱)だそうですよ。
急な渓谷であった「滝谷」もここまで来ると穏やかな流れです。
がらがらの駐車樹に戻ってきました。けっこうな距離を歩いていい運動になりましたよ。
この後は昼食をとって、徐々に南下して行きたいと思います。海が見えるまで...
さて、どうなることやら。
アクセス
- 東海環状自動車道「養老IC」より車で10分程度