日本最初の映像『本能寺の変』
NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』もとうとう終わってしまいましたね。
明智光秀公にかこつけて色々な所を巡ってきたのでちょっともの悲しいです。歴史に対する現代人の捉え方は千差万別ですが、「本能寺の変」という出来事はやはり日本人にとってとてもインパクトの大きい出来事だったんでしょうね。そのことがわかるところを紹介したいと思います。
さて、緊急事態宣言下の京都府ですが、仕事が休みになることもなく(テレワークで出来る仕事ではないので)日常は変わることなくやって来ます。ほんでもって、2月13日(土)は土曜出勤...
こんな時期にねぇ...と言っても始まらないので、いそいそと早朝出勤。朝早いのをいいことに少し手前のバス停で下車して歩きます。
やって来たのは「真如堂」。まだ日の出前ですよ。
もみじの季節には多くの人でごった返すこの石段も、まだまだ寒い冬の朝にはだ~れもいません。
日中は気温が上がるとのことですが、放射冷却で朝はとても寒いです。三重塔も心なしか寒そうですよ。
本堂に掲げられた変額です。学の無い私には字が良くわかりませんが「真如堂」って書いてあるんでしょうか? ま、ええけど。
もうじき日が差してくるんですけど、だ~れもいない静かな境内です。
で、境内の紹介ではなくて、「本能寺の変」を紹介しなくてはいけませんね。
本堂前にあるこれがまさに「本能寺の変」。信長公の供養塔とかじゃないですよ。
「京都 映画誕生の碑」です。なんでまたこんなところに?
駒札があるんですけど、これによると日本初の時代劇映画である「本能寺合戦(別名:太閤記の本能寺)」が日本映画の父と呼ばれる「牧野省三」によって、ここ真如堂で撮影されたそうです。牧野省三にとっても監督としての第1作となる映画ですが、現在はフィルムが存在しないので見ることはできないようですね。
それまでに日本で撮影された映画は当時の生活などの記録がメインでしたが、牧野省三は初めて「時代劇(旧劇映画)」というジャンルをロケで撮影しました。それも「本能寺の変」を選んだということですから、やはり日本人の中では「本能寺の変」は特別な出来事なんでしょうね。
昔から光秀公は主君に対して謀反を起こした逆賊だと太鼓判のように歴史で教えられてきましたが、光秀公が治めていた地に住んでいるとどうもそうではないという思いがしていました。今回の大河ドラマ『麒麟がくる』で今までとは少し違った光秀像が広まればよいなと思います。
アクセス
- 京都市バス「真如堂前」下車、徒歩12分