心臓破りの石段
少し前に伏見区小栗栖の「明智藪」と「胴塚」を訪れたのですが、その時に参詣した「北小栗栖天神宮」を紹介します。
「明智藪」を訪れた後、旧道を北に向かいます。狭い旧道ですが交通量は多く、ちょうど歩道の拡張工事をしていたのでとても歩きにくかったです。今頃はきれいになってるかなぁ。
まわりに何か面白いものはないかと目を皿のようにして歩きましたが、これと言って目を引くようなものはありません。
さてさて...
地図で見ると、「北小栗栖天神宮」はどうもあの山の上のようですね。
お、近づくと鳥居が見えましたよ。あの山に間違いありません。
登り口です。
なんとまぁ、立派な鳥居。
「天神宮」の神額です。ちょっと手書き風で親しみが持てます。
石段の左下。「大正九年」と彫られています。
「むう...」
手すりが貧相に見えてしまうこの急な石段。の、登るんですか...
いやほんま、急ですわ。45度。
登り切りましたよ。平地とはいきませんが(登り切ったので平地に見える)石段の上の平らな林に出ました。左は社務所でしょうか。
奥に進むと境内が見えます。
到着しました。一段高くなったところに「北小栗栖店神宮」が鎮座しています。
屋根の部分は新しいですね。
欄間と違うし、なんと言う部分なのかわかりませんけど、彫り物がきれいです。
二柱、鎮座されていますね。「伊佐那岐命」と「伊佐那美命」です。
北小栗栖 天神宮
所在地 京都市伏見區小栗栖天神山町
祭神 伊佐那岐命 伊佐那美命
創社 社殿旧記ともに火災にあって、正確な創立の年代はわからないが、口傳に依ると法琳寺が創建された時、その鬼門除けに、この地に、天神社を建立されたとも傳えられる。とすれば、法琳寺は藤原鎌足の長子、定慧の創建と傳えられているところから、天智天皇の御代(西歴六七〇年頃)で約千三百年前に當る。以来、北小栗栖の産土神として崇敬を受け親しまれて来た。
んん~、670年ですか。天智天皇の時代。これは古い。
本殿の向かって左側の摂社。詳しくはわかりません。
本殿向かって右側の摂社。こちらも詳しくはわかりません。
ここにも摂社。こちらも不明です。
奥に方に注連縄が見えますね。
一本の杉の木ですが...
なにか特別なご神木でしょうか。
道真公の絵馬。
なかなかかわいい絵馬ですね。「本田味噌」の正月用のやつについてる絵馬ですね。
つーことで、石段降ります。(隣に車道もあるけど...)
とても古い神社ですが、今日現在、Wikiにも載ってません。整備のきれいにされているし、地元の方にとってはとても大切な神社のようですね。横に車用の道も整備されていますので(駐車場はありません)、一度参詣されてみてはいかがでしょうか。
アクセス
- 京阪バス「北小栗栖」下車、徒歩10分